「元気」をこの手に取り戻すまで―心療内科で学んだこと(石井苗子・著)を読んだ。
- 作者: 石井苗子
- 出版社/メーカー: ダイヤモンド社
- 発売日: 2007/08/24
- メディア: 単行本
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以下黒字は、自分用備忘録的メモ及び考えたこと。
囲み部分青字は引用。
ただ私の場合は、ビジネス界のように別の会社に移るという選択、つまり他で働く場所がありませんでした。
「やり直すったってね〜。テレビが市場なんだから全部のチャンネルでこんなことになっちゃ、もうやり直せないよね」。
このコメントがいちばんこたえました。テレビのチャンネル以外にあなたの行く場所がないのだから、やり直す場所はないということです。
「わたしの場所、つまり自分自身の場所」について考える。
やり直す場所を求めるのではなく、
今わたしがいるこの場所で、やりたいことをやれないか。
カウンセリングはもとより、アドバイスにしても、それを口に出して言うときは、もしかしたら相手の気持ちを傷つけてしまうかもしれないという覚悟が必要なのです。アドバイスをするということは、ある意味で、相手の人格を犯さなくては何も言えないのです。だからこそ言葉遣いに気を配り、慎重に相手の心の機微を確認しながら、やらなくてはならない。手当たりしだいに何かを言うことは、逆効果になってしまいがちです
相手の心の機微に思わず唸る。
自分は相手の心の機微を読めているか。
KYについて考える。
自分はKYなのではないかということについて考えたりする。
人は人から相談をもちかけられると、ほんのちょっと頼りにされているようで、気分がよくなることがあります。すると、相談者の問題とは無関係な、自分が日ごろ感じていることを、その人に向かって発散するように言ってしまうことがあります。
相談する人を選ぶ目がないんじゃないか
相談する人を選ぶ目。
誰にでも相談してよいというわけではないということだろうか……。
いろいろ大変だったようですけれど、面白おかしく書き捨てて、マスコミは儲けてるだけでしょう!
マスコミに対しては、「事の是非を判断する能力はなく、アナタをかばう勇気もなく、ただ全員で石を投げることしか思いつかないのです」
マスコミについて。
テレビやワイドショーはほとんど見ないけれど、
マスコミもネットも似たようなものなのかな、と思ったり。
本当は必要とされたいのに、誰も自分を必要だと言ってくれない。そんな現実に、誰もが疎外感を感じ、悩まされることがあります。
痛い。痛いほどわかる。
必要とされたい。誰かに必要とされたい。けれど必要とされていないような気がして、どうにも淋しい。
心に苦しいことがあるとき、人は助けを求めたいものです。しかし、風邪や炎症、打撲といったように、目に見えるもの、判断しやすいものと違って、心が苦しいという現象は、それがどれくらいのレベルなのか、何の種類の病なのか、自分自身も、まして他の人には判断できないものです。
↑確かにそうかもしれない。
自分の心の苦しみを説明するのは難しい。わかってもらうのは難しい。
それでも、
私は助けを求める。
じっと内にこもり、もんもんとするのではなく、
助けを求めようとする。
心が苦しいときには苦しいと、
体がしんどいときにはしんどいと
素直に表明する。
私は箱に閉じこもるようなことはもうしない。
私は箱の中から出た。
箱の外は思っていたよりもあたたかい。
今そう思っている。
もやもや、悩みは変わらずに自分の中にあるけれど、
それでも、
今いる場所で、せいいっぱいやりたいことをやりたい。
やるからには、とことん楽しもうと思う。
私は今、ここで頑張っているよ(^ω^)