今朝ふと思った。
もっと声をあげていい。
私はネットについて詳しいわけではない。
が、こうして文章を書き、ネット上にアップすることができる。
書いた文章を誰かが読んでくれる。
それは、すごいことなのではないのかと、いまさらのように思う。
書きたいことがありすぎて、書ききれていない。
時間が欲しいと切(せつ)に思う。
もっと声をあげていい。
それは自分への言葉であり、自分以外の人への言葉でもあったりする。
私を含め人は案外言いたいことを言えなかったりする。
ある事柄について、こういう風に考えた、感じたということを、ただ考えた、感じただけで終わらせてしまうことが多いのではないだろうか。
文章にするその手間をなかなかかけられない、時間がないというのは確かにある。
が、文章にし、ブログ等にアップし、つまりは声をあげることで、昇華することもあるのではないかとそう考えた。
昇華というとなにやら難しくなりそうなので、言い換えるとすると、成長という言葉がいちばん近いかもしれない。あるいは、変化という言葉に置き換えてもいいかもしれない。
黙っている方が好きな人もいるかもしれない。
私もリアル世界では黙っている方が好きだ。
黙っている方が好きというより、うまくしゃべれないというのが本当のところだ。
うまくしゃべれない、だから、こうして書く。しゃべるよりも書く方が楽だ。
こうして書くことで私は声をあげているのだと思う。つまりは意思表示をしているのだと思う。
そして思う。
大好きなKOTOKOさんの『縁どりの世界』にあるように
きっとわがままでも涸(か)れた声で叫び続けたい