【雑文】ブログ。毎日の更新をやめたわけ〜少しでも目新しいものを

★忙しいという理由ではない。


以前は毎日更新していた当ブログだが、ここのところブログの更新がとびとびになっているのはどうしてだろうかと、自分なりにその理由を考えてみた。
実際ブログを書く時間はある。以前よりも時間はある。忙しいという理由ではない。
「えぶりでーものかき」とプロフィールに書いているように、物を書いていないわけではない。
雑文と言われるものは、それこそ山のように書いている。何かしら書いて残しておきたいというのが私の中にあったりする。ブログの下書きのようなものは毎日のように書いていて、アップするネタがないわけではない。


★ではなぜ毎日更新しないのか。アップしないのか。


それは自分が納得しないから。自分が納得する文章が書けていないから。


ちょっとした完璧主義なところと潔癖症なところがあるので、どうでもいい文章をアップして晒してしまうことに躊躇(とまど)いを覚える。このこだわりは最近ますます強くなってきている。


また、別に毎日更新にこだわらなくてもいいんじゃないの?という変化が私の中に生まれたのも確かだ。
ある日「毎日更新したい」という欲から解放された。今まで「毎日更新したい」という欲に囚われすぎていたように思う。毎日の更新にこだわらず、まぁとびとびでも、とにかく続けていく方がよいように思うようになった。


ツッコミどころ満載の駄文を晒すよりも、自分が納得できるものを細々とアップしていきたい。これからはそういうスタンスでいくつもり。


★個人ブログの自由さ


書きたいときに書き、アップしたいときにアップできる、それが個人ブログのよいところで、その自由な感じが好きだ。なんだかんだ言っても自由はよいなぁと思う。何者にも縛られず、自由でいたいと思う。
自由は寂しさという副産物も連れてくるけれど、それでも自由でいたい。
誰からも同意を得られないとしても自由に書きたい。
伝わる人には伝わるそれだけを信じて。


★少しでも目新しいものを


言葉というツールの意思伝達の不自由さを、書き言葉という読み手でどうとでも解釈できる曖昧さをむしろ私は歓迎したい。


文章に限らず、あらゆるものを知ってしまったとしたら、コンプリート感はあっても、そのあと襲う感覚というものは、きっと陳腐でつまらないものになるだろう。
知らない部分、未知の部分があるからこそ、人は魅かれるのだろうと思う。


似たような文章、記事をアップしていくことは、訪れる読者を飽きさせることに他ならない。
またコイツ同じようなことを書いているよ、と。
書き手であるブロガーもまたブログを続けていくうちにマンネリ感を感じたりしているのではないだろうか?
似たようなことばかり書いたりしていないだろうか?
アクセス数が減っていくということは、つまり読者が離れる傾向にある(飽きている)ということに他ならないのではないだろうか? 読者にとって更新が楽しみだと思えるようなブログではなくなってしまっているのではないだろうか? 変わり映えのないブログは読者を飽きさせる。そのように思う。


これは私の持論みたいなものなのだが、インプットが少量だとアウトプットする文章も変わり映えしないように思う。
自分の中に変化を起こすにはインプットは必要不可欠で、それが私にとっては本あったり、ネットだったり、人との出会いや会話だったりする。
日々インプットは続けているわけではあるが、インプットからアウトプットまでには少々時間を要する。


関連記事:「インプット、アウトプットするその間(あいだ)。」(かみんぐあうとっ)

インプット

  ↓

 自 分(の中で消化、分析)

  ↓

アウトプット

中途半端で消化不良のままアップするのではなく、自分の中での消化、分析の時間をもっと長く丁寧にしたいと切に思うようになった。必然的にアウトプット(更新)のペースは落ちることになる。


他のブロガーのブログ更新に関するスタンスは、それぞれ違うと思う。


私の更新スタンスは今こんな感じだ。
毎日更新はしなくてもいい。でも、アップするときには、少しでも目新しいものを。