ブログの評価と自分のスタンス

あっしゅ・とぅー・あっしゅ(mark of knowledge)を読んであれこれ考えてみたので書いてみる。

できることと、できないことがある。
できる自分と、できない自分がいる。


常にできる自分であり、できる必要はない。
常にできない自分を想定し、恐れる必要もない。


マイナス評価をモチベーションと接続するな。
評価もまた、道具に過ぎない。


低きに流れやすい君に、同情の言葉はかけない。
ただ、シンプルな言動を心がけよ。


ひたむきに、綺麗に。


     あっしゅ・とぅー・あっしゅ(mark of knowledge)より

いいですね。できない自分も自分だからそれでいいと思う。できないことがあってもいい。苦手なことがあってもいいと思う。


「評価もまた、道具に過ぎない」というのも同意する。評価がすべてじゃないと思う。評価は必要かもしれないけれど。評価されようとされまいと自分のスタンスは変えるべきじゃないと思う。


実のところ私はブログも釣りっぽいタイトルで人をひきつけるのは好きではない。素直にタイトルをつけたい。素直にタイトルをつけて、書きたいように書くのが私のスタンスだ。


自分のスタンスで書いたうえで評価されたい。例えばはてスタ、ブクマ。はてスタもブクマも評価ですよね。他の人の反応が可視化したもの。言い換えると他の人の主観によって生まれたもの。つまり、他の人の主観だから、気にしなくていいとそう思う。


読んだものに対する感想評価は読み手に委ねられるもので、書き手がどうこう言えるものではないとそう思っている。どういう感想を持とうが、批判しようがそれは読み手の自由。ネガコメをつけるのも自由。(まぁネガコメをつけるのも自由と書くと、それじゃネガコメを容認するのかってことになるんだけど、うーん、容認することになるのかもしれない。むしろネガコメを許さないという風潮は気持ち悪いしコワイと思う。)


他の人がどう言おうが気にしなくていいと思うわけで、他の人の評価を気にして自分らしく書けないというのは苦しいことなのではないかと思う。普段の生活においても自分らしく振舞えないというのは苦しくストレスを感じるものだ。


自分らしく書いて、それで評価されなかったり同意してもらえないのなら、しょうがないのではないかと思う。評価してくれる人はしてくれるし、評価されなくてもまた書けばいいと思う。書き続けていればそのうち評価してくれる人に出会えるかもしれない。


つまりブログの評価に振り回されずに「自分のスタンスで書き続けること」それが大事なのではないだろうか。私の場合、はてスタがついたり、ブクマされたら素直に喜ぶ。反対に評価されなくても別に気にしない。また次を書こうと思う。