自分のために時間を使うこと。誰かのために時間を使うこと。


先日ひとりで映画「スカイ・クロラ」を観にいきました。赤ちゃんがいる私にとっては久しぶりのひとりだけの自由な時間です。なんて贅沢なんだろうって思いました。赤ちゃんは家でみてもらい、ひとりで外出。ゆっくり映画を観れるなんて久しぶりでうれしかったです(^ω^)


ひとり(独身)だった頃は自分のために時間を使うこと=自分のために時間を消費するということのように思ってました。すべては自分のため。時は金なり。一分一秒もムダにしたくない。そんな感じでした。
その反面、ひとりで自分の時間を消費することにむなしさとかさびしさを感じたりもしてました。


ふとですね、誰かのためにというのに目覚めたのですね。ふとw
誰かのためにごはんを作りたいと。
元々私は外食よりも自分で作って食べる方が好きなので、自分の作ったものを素直に食べてくれる人っていいなぁと。文句を言わずに食べてくれる人っていいなぁと。


別にそれが彼氏(彼女)配偶者でなくても、誰かといっしょにごはんを食べる。
それってすごく楽しいことだと思うのです。
友だちといっしょにご飯を食べるのは楽しい。
うん。誰かといっしょにご飯を食べるというのは楽しいです。


話は飛躍しますが、実のところ人っていつまで生きていられるかわからなかったりするんですよね。
もしかしたら明日死ぬかもしれない。だから友だちとも会えるときには会おうと思うし、私の方から積極的に会おうって言います。
同じ時間を共有するっていうのかな。
ごはんを食べる時間あるいはそれは飲みだったり、カラオケだったり、お茶したりでもよいのですけれど、そういう時間ってすごく大事で、友だちと過ごすそういう時間があって、それで一人の時間もがんばろうって思ったりするんですね、私の場合。


私は私で仕事(やること)があるし、いつもいつも遊んでばかりもいられない。
でも遊ぶときは思い切り遊ぶ。とことん楽しむ。



話を戻して、誰かのために何か、というのはいつも思うことですね。少しでも役に立てたら、みたいな。
承認要求のひとつなのかもしれません。

しょうにんようきゅう【承認要求】
他人に自分の存在や考えを認められることを求める社会的要求。
                     yahoo!辞書より


仕事をするのもそうですよね。家事も育児も。
自分の時間も大切。けれど、自分のためだけに時間を消費するのではなく、誰かのために時間を使うのも実はすごく楽しくてわくわくすることだと思うのです。
誰かの役に立ちたくて、誰かに喜んでもらいたくて、誰かの喜ぶ顔を見たくて、笑ってほしくて、自分にできることやっていきたいなーと。なんかそういうことを思いながら毎日過ごしていたりします(^ω^)