『自分への語りかけ』を読んで。昨日よりは今日、今日よりは明日の自分。

blueeyeelementの日記で紹介されていた『自分への語りかけ』という文章にとても共感を覚えたので私も紹介したいと思う。

↓ 『自分への語りかけ』より引用

親や他人から言われたからって、自分で自分を見捨てる必要はないんだ。
自分で自分を見捨てなくてもいいんだ。
お前はもう充分自分を見捨ててきたじゃないか。
お前はもう充分自分を傷つけて苦しめてきたじゃないか。
もう充分じゃないか。
お前はもう自分を見捨てなくてもいいんだ。


幼いころに間違った考えを刷り込まれたお前は、一生懸命頑張って自分で自分を見捨てて来た。
幼かったお前は、疑うことを知らず、けなげにも教えに忠実であろうとしてきた。
刷り込まれた教えに従って、本当に頑張って一生懸命自分で自分を傷つけてきたし、一生懸命自分で自分を無視してきた。
誰も褒めてくれなかったけど、お前は本当に良く頑張った。頑張って自分を見捨ててきた。
一人で大変だったね。辛かったろうね。
誰も認めてくれなかったけど、本当によくやった。


でも、もういいんだ。
お前が教えられたことは間違っていたんだ。
間違ったことを刷り込まれていたんだ。
お前はもう自分で自分を見捨てる必要はないんだ。
それは間違いだったんだ。
お前は、もう親とは別個の人間なんだ。
もう間違った教えに従わなくてもいいんだ。


間違った仕事はこれで終わりにしよう。
これからは自分で自分を大切にしよう。
これからは自分で自分を育てよう。
新しい仕事に取りかかろう。


 こういう語りかけを、自分自身に対して繰り返し行なうことで、心の中になにか引っかかるものが見つかるかもしれません。そうしたら、それは新しい自分の発見につながるかもしれません。毎日、繰り返し自分に語りかけてください。「もう自分を見捨てる必要はないんだ」と。「もう見捨てなくてもいいんだ」と。

ここで私が特に共感したのは、

これからは自分で自分を大切にしよう。
これからは自分で自分を育てよう。

というところだ。

これからは自分で自分を大切にしよう。

私がみた感じではあるが、自分で自分を大切にしていない人が多いように思う。なにも自分を大切にするというのは、自分を甘やかすとかそういうことではない。自分を大切にするというのはつまり、具体的に言えば、ちゃんと食事をとるとか、睡眠をとるとか、疲れた時は休むとかそういうことだ。ろくに食事をしなかったり、食事をしたとしてもジャンクフードばかりだったり、翌日に差し支えるほどお酒を飲んだり―どういう生活をしようとそれはその人の自由ではあるが―そのツケはいつか回ってくると思う。私が年をとってきたからかもしれないが、健康は本当に大事だと思う。健康であってこそ、仕事もできるし、趣味も遊びも楽しめるのではないだろうか。

これからは自分で自分を育てよう。

大人になっても成長することはできる。いや、むしろ大人になってからこそ精神的な成長が必要だと思う。自分を育てるというのは、資格や技術やスキルを得るということもあるだろうし、キャリアアップしていくということもあるだろうし、内面を育てるという意味もあるように思う。内面、中身というのは外に現れてくるものだとそう思う。それは顔であったり言動であったりするのだけれど。自分で自分を育てるというスタンスは私の好むところだ。未熟であることは自慢にはならない。「いつまで未熟なままでいるのか」と喝をいれたくなる。自分で自分を育てる、成長させる姿勢を忘れずにいたいと思う。


自分を見捨てる必要はない。自己卑下する必要もこれっぽちもないと思う。自分は自分。今のまま、今の自分でいい。けれど、もし、できることなら少しでもほんの少しでもレベルアップした自分になりたいとそう思う。急激にレベルを上げることはできなくても、昨日よりは今日、今日よりは明日の自分が自分的に満足納得するものになったらよいなと思う。