本質を見抜くということ

最近、ある失敗をして、今思うと、本質的なことがわかっていなくて失敗したんだなって思うのですね。本質的なことがわかっていなくて失敗。つまり、本質的なことを見抜けていなかったのです。
以前にも似たような失敗をしたのですけれど、それも問題の本質をわかっていなかったから。そのとき問題の本質をわかっていれば、失敗は繰り返さなかったかもしれない。
失敗の原因のその背景とか奥底にあるものをはっきりさせると同時に、問題の本質的な部分をわかっていないといけないのですよね。問題が起こって、それに対して付け焼き刃的なことをするから失敗する。



本を読んでいてもそうなのですけれど、表面上をなぞることで満足してしまっていることが案外多くて、本質的な部分、本当に作者(筆者)が伝えようとしていることを読み取っているかといえば、うーん、読み取れていないような気がします。なんとなくわかったつもりになって、それでおしまいにしてしまっている。


インプットの年にしたい。で書いたのですけれど、本を再読しようと思うのは、そのときは読み取れなかったことで、あらたに気づく部分があったり、今ならわかる、ということがあったりするからなのですね。読解レベルというのは人によって違うわけで、自分の読解レベルというのも、実は日によって、あるいは本によって違っていたりするわけで、数年前の自分だったらわからなかったことも今の自分ならわかる、いろんなことを経験したからこそわかる、というのもあると思うのですよね。わかるというのは、本質的なことがわかるというのが本当の意味でわかるということなのだと思います。


生きていくうえで、本質的なこと、大事なことをわかっている人は強いと思います。何が大事で、何を大事にしていかないといけないのか、その本質を見抜く目というのかな、そういった目を持っている人に憧れるわけで、私自身も本質を見抜く目を持てるようになりたいとそう思うのですよね。


世の中のさまざまな問題、政治、社会、経済etcどんな複雑な問題も本質的なものを見抜けられれば、解決方法は見つかるんじゃないかなかなとそう思うわけで、んー、本質を見抜く目というのはこれからますます必要不可欠になってくるんじゃないかな。