Twitter。タイムラインは並行宇宙

Twitterにはユーザそれぞれのタイムラインがあって、見えてる世界、流れてる世界というのは、ちがうのですよね。並行宇宙(パラレルワールド)みたいに。


わたしの場合は、今約1500人のフォロワーさんからのPOSTが流れているラインで、
例えば

  • 100人のタイムライン
  • 800人のタイムライン
  • 1500人のタイムライン
  • 4000人のタイムライン

があるとして、人数がちがうとやはり流れているPOSTはちがうわけです。
多いからいいとか少ないから悪いとかそういうのはないわけですが、自分の観測範囲、見えている範囲がすべてじゃないというのはいつも気をつけるようにしています。自分がフォローしていない外側にはもっともっとたくさんのPOSTがある。たくさんのついったーがいる。そうなんですよね。



自分が見えているからといって、他の人も見えているというわけじゃない。
自分はフォローしていても、他の人はフォローしていないかもしれない。



見える範囲内については、現実の世界にもあてはまると思うのですよね。
自分が見えているから他の人も見えているというわけじゃない。
自分が知っているから他の人も知っているというわけじゃない。


井の中の蛙」という言葉がありますけれど、世界はもっと広くて、自分が見えているものがすべてだと思ってしまいがちだけれど、実はそうじゃないのですよね。


見ているタイムラインとはちがうタイムラインが他では流れていて、『さまざまなめりっと』のようなTwitterまとめサイトを見てみると、ああ、こんなPOSTをしている人もいるんだって知って、わくわくします。わくわくって書くと変かもしれないけれど、実はこんな風に言っているひともいるし、あんな風に言っているひとだっているよ、という多種多様性、視点のちがう発言というのは、面白くて刺激的。
ブックマークコメントもそうですけれど、なんていうのかな、多種多様な考え方、意見があるというのはいいこと。画一的な考え方ばかりでは進歩はないと思うのですよね。わたしみたいな議論を避けて通るタイプばかりだと、きっと仲良しこよしで丸くなって、はい、おしまい、めでたしめでたしで終わってしまうと思うのです。
アグレッシブ系ばかりでもどうかと思うけれど、保守系防御系ばかりでもたぶん世界はつまらない。進歩しない。
いろんなタイプがいて、世界は成り立って進んでいくんだと思います。やはり進んでいくには試行錯誤は必要なわけで、よりよい方向に進んでいければいいですけれど、なかなか難しいのが現実だったりするのですよね。



タイムラインは並行宇宙。人生も並行宇宙みたいなものだと思います。みんなそれぞれの時間を歩いている。有限の。歩いていく中で人は人と出会い、交流し、そして、別れたり。別れといっても、生きている間はまた会う可能性はあるわけで、そうですね、やはりもう二度と会えない別れというのがなによりつらいかな。まぁ、生きているとそういうこともある。出会って別れて、また出会って……。人はそれぞれの時間と世界を持っていて、お互いを知る、触れ合うことができるというのは、奇跡に近いものなのかもしれません。ネットしていなかったら知り合うことはなかっただろうなという人もたくさんいますし、そうですね、お互い顔は見えなくても、Twitterでつぶやいたり、ブログを書いたり、メールしたりで、生存確認っていうのかな、できるっていうのはいいですよね。遠く離れていても、ああ、元気でやっているんだって。
逆にいつもTwitterで見かけていたり、ブログを更新していたりする人がある日ぱたりと見かけなくなったり、更新されなくなったり、となると心配になりますね。わたしもプライベートな事情でネットがつながらず、少し前2週間ほどネットから離れていましたが、心配のメールやTwitterダイレクトメール等いただきました。ネットが再開通してすぐお返事はしましたが。


なんだか、また長くなってしまいましたが、タイムラインと人生は案外似ているかもしれません。にぎやかなうるさいくらいのタイムライン=人生もあれば、少数でのんびりゆっくりのまったりタイムライン=人生もある。どちらがいいというわけでもなく、どちらでもいいのだと思います。にぎやかなのが好きなのであれば、もっとフォロワーさん増やしてもいいわけですし、静かにつぶやきたければ、少ない人数でも。