会話と思いやりと。

どうせ、あちらへは手ぶらで行く―「そうか、もう君はいないのか」日録城山三郎)新潮社 読了。


夫婦とは会話であり、思いやりであり、相手の身になって考えることである。
――どうせ、あちらへは手ぶらで行く―「そうか、もう君はいないのか」日録城山三郎)より

ホントそうですね。

  • 会話
  • 思いやり
  • 相手の身になって考えること

これは夫婦に限らず、人間関係でも言えることじゃないかな、って思ったのですね。

なんていうのかな、会話からはじまって、そうするうちにお互いのことを知って、やっぱりそこからはじまると思うのですよね。人間関係って。
話してみないことにはわからないし、黙っていてもわからない。
そして思いやりも大事だと思うし、ちょっとした気遣いなんですよね。ちょっとした気遣いができるかどうか。ドアの手前に荷物で両手が塞がっている人がいて、そこでさっとドアを開けてあげられるかどうか。
多分自分のことしか考えていなかったら、おそらく他の人は目に入らないし、どうでもいいってことで済ませてしまうでしょうね。まぁ忙しかったり余裕がないときはなかなか周りは目に入らなかったりしますし、そこまで手が回らないってことありますね。
相手の身になって考えるというのもなかなか難しいですね。相手の身になって考えてもそれが見当違いだったり、ありがた迷惑だったり余計なお世話ということもありますし。
そうですね、自分のことばかり主張しているうちに誰からも相手にされなくなったりというのはあるかもしれませんね。自己主張ばかりというのもどうかと思うし、でも何も主張しないでだんまりで周囲とうまくやっていけるかというと、うーん、どうなんでしょう?つい箱に入ってしまいがちなので、そこらへんはわたし自身気をつけたいところで、でもひとりの時間っていうのかな、それも大事だと思うのですよね。考えたり本を読んだり文章を考えたり、というのはひとりじゃないとできないことですよね。ひとりの自分だけの時間を持つというのは大事、お茶を飲んだりちょっとほっとする時間もやっぱり必要なんじゃないかなって思います。
とはいえ人間関係という観点からいくと

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  • 思いやり
  • 相手の身になって考えること

は大事ですよね。ひとりの時間も大事……となるとバランスかな?