ネット。見えないからこそ大切なもの。
Twitterでもブログでもそうなのですけれど、相手の状況が文字以外からはわからない、推測するしかないということで、その推測がまるで場違いで、はずれまくることもなきにしもあらずで、そういうとき本当にわからないなぁと思います。
つまり、相手がわからない。
わからないとき、わたしは本人に聞いてみたりします。本人に聞いてみるしかわかる方法はないんじゃないかな、と思うので。
勝手に想像してもその想像が合っているとはかぎらないし、勝手に想像してモヤモヤを抱えたままにしておきたくないというのがあるかな。
まぁ、たずねたとしても答えが返ってくるとは限らないし、そうですね、特にTwitterの場合、リプライは強制じゃないですからね。スルーされることもある。スルーされると、んー、まぁそれはそれでしょうがないかなと思ってますが、寂しいというか、そう感じることありますね。Twitterのリプライをするしないは自由なのですけれどね。まぁリプライの有無は気にしないでいることがTwitterを長く続けるコツでしょうか。相手には相手の状況があるわけですから、まぁ見逃したか、別にリプライを返さなくてもいいと思ったか、そんな感じだと思うようにしてます。
そうですね、ネット上、相手が見えないからついきついことも言えたりします。増田等はとくにIDもユーザ名もわからないですからね。もし本人が目の前にいたとしたら、そういうこと言えないでしょ?言わないでしょ?というようなこと、言えてしまうところがネットのこわいところです。
どうせなら、楽しくそれぞれにプラスになるように、楽しいこと面白いことスゴイことはどんどん共有する方向でいきたいと思うのですよね。どんどん共有できるのがネットのよいところだと思うのです。
ネットの向こうにはリアルのひとがいる。泣いたり笑ったり怒ったりちゃんと感情を持っているひとがいる。そのことを忘れてほしくないし、私はいつもネットの向こう側のひとを意識していたいです。読む人を。見る人を。
まぁ、読む人のひとりひとりがどういう状況にあるのかどういう気分でいるのかとかもちろんわからないのですけれど、見えないからどうでもいいということではないと思うのです。見えないからどうでもいい、自分の言いたいことさえ言えれば相手はどうでもいい、となると殺伐としたネット世界になりそうでいやですね。
そうですね、相手が見えないがゆえに、確かに推測することしかできないのですけれど、それでも相手を慮(おもんぱか)るというのかな、そういうのは大切だと思うのです。ネットの向こうには生きている人感情を持つ人がいるのですよね。
うまくまとめられませんでしたが、見えないからこそ大切なもの、あると思うのです。