成長と経験。経験してわかることは貴重。

赤ちゃんは、生まれてしばらくは眠ることが仕事で、そのうち寝返りをうつようになり、手足をバタバタさせるようになり、はいはいしはじめて、そのうち自分で立つようになる。つかまって立って、つかまり歩きをするようになって、そのうち一人でよちよちとおぼつかないながらも、何度も転びながらも自分で歩くようになる。できなかったことができるようになる。それは成長であり、また発達と言われることだ。


ここでは成長という言葉で書いていきたい。


ゆっくりと成長していく。
その成長という言葉はなにも子どもだけに適用されるものではなく、大人になっても成長していくものだとそう思う。


精神的な成長というのは、大人になってからもしていくものだと思う。見た感じはしっかりしていても精神的には未熟だったり幼かったりというのはある。精神的に未熟だったり押さなかったりするがゆえに、周囲とうまくいかなかったり、あるいは悶々とひとり悩んだりということはあると思う。もっと精神的に大人だったら、こんなトラブルを起こすこともないだろうなということも多い。


精神的に成長。精神的に大人。
これがどういったものかを定義するのは難しいけれど、やはり精神的に落ち着き成熟した大人であれば、瑣末なことで周囲ともめることはないだろうし、余裕を持ってうまく対処するだろう。


精神的に大人だと思う人は、相手を責めないし、やたらと怒らない。かといって投げやりになるわけでもなく、落ち着いて冷静に見ているように思う。相手の話をよく聞くというのも精神的に大人な人の特徴のように思う。自分のことばかりを言うのではなく、相手の言うこと聞く。聞いて、相手の状態を的確に把握しているように思う。

  • どうしたら精神的に大人になれるか。精神的に成長できるか。


経験を積むことだと思う。


実際経験して、人と関わってわかることというのはある。人と実際現実に接してみないことにはやはりわからないことはある。本を読んだだけではわからないこと。本を読み、知識を得ることはできるけれど、本を読むだけで、精神的に成長できたり大人になれるとは思えない。知識だけが豊富に詰まった頭でっかちになりそうなそんな気がする。理論や理屈だけでは人は動かなかったりする。理屈が通らなかったり、時に理不尽だったりすることもあるのが世の中だ。正論をふりかざしたところで、それが通用しないことも、正攻法では失敗することもあったりする。自分の常識が他者にとっては常識ではないというのも、あるトラブルを経験して実感した。経験してわかること、知ることは貴重だ。経験したからこそわかるということはある。


人と会い、いろんな人に接して、いろんな経験をして自分の実になるというのはある。わたし式に書くと、ゆっくりマイペースでなんでも経験していけばいいと思う。人づきあいも。無理しないでいい。人それぞれキャパシティがあり、キャパ以上は無理がくる。あくまでも自分のペースでいいと思う。自分のペースで成長で。