言葉にする勇気がほしい。飲みこんだ言葉にいつか光を。

ええ、ふと思ったのですよね。
言葉にする勇気がほしいなぁと。


最近思うのは、

人もモノも見えている部分、見えていない部分ってあるなぁ

ということ。
光が当たっている部分って誰でも見えますし、注目しますよね。一方で、影の部分というのもまたあるわけで、見えない部分もあるわけです。


そして、ネット上で、画面に文字として表れ見えている部分は確かに見えるのですけれど、それだけではなくて、文字になっていない部分もあるのですよね。ブログだとどうしても削らざろうえなかったり、あるいはネットには書けない部分があったり。


そうですね、ネットの場合、見えている部分を信じるしかないのですけれど、それでもどこまで信じていいのかなって思うことあります。見えていない部分に実は真実はあるんじゃないかなと思ったり


見えているものがすべてじゃないと思うのですよね。見えない部分、文字になっていない文字したくてもできない部分もあると思います。
あるいは、書きたいけれど、うまく書けなくて消してしまうこともあります。同様にわたしの場合、伝えたいことがあるけれど、うまく伝えられそうになくて言葉を飲みこんでしまうこと多いです。また、相手の反応がこわくて、飲みこんでしまうこともあります。相手が自分が予想するような反応をするとは限らないわけで、なんていうのかな、もしかしたらスルーされてしまうかもしれない。無視されてしまうかもしれない。それなら最初から表明しなければいい。言葉を飲みこんでしまえばいい。
飲みこんでしまえば、もちろん伝わるわけはないわけで、無視されることもないのですけれど、なんとなくもやもやは残りますよね。何でも口に出して言えないというのは、まぁ今はじまったことでもないなぁと思ったり。
やはり伝えようと思うなら、なんらかの形で見えるようにしないと伝わらない。言葉で文字で表現しないと相手には伝わらない。


うまく伝わらないかもしれないけれど、それでも言葉にする勇気ほしいなと思います。


飲みこんだ言葉にいつか光を当てられるときがくるといいなぁと。