否定されて心が折れる人、折れない人

否定されると人は多少なりとも動揺したり凹んだりするものだと思います。
人それぞれの見方考え方がありますから、自分の意見を否定されることあります。
それはちがう、と。そういう考え方はおかしいと。


以前も書きましたが、私としては否定意見は否定意見としてあっていいと思います。
その人は自分とはちがう意見、考え方を持っているということで、それはそれでいいと思います。


否定されて心が折れてしまう人います。ああ、もうダメだ、と。
ブログのコメントで否定されて、記事を消してしまったり、どうかするとブログ自体閉鎖してしまったり。
否定されたとしてもそれはそれでいい。ブログという媒体はいろんな人が見ているものです。そしていろんな意見を持つものです。
自分とは明らかにちがう意見を持つ人もいる。そういう意見を持っている人もいるのだということがわかったのですから視点が増えたとプラスに見ればいいと思います。
なるほど、そう考える人もいるのか、と否定意見に一理あるなと思うこともあるでしょうし、自分の考えを軌道修正するきっかけにもなるかもしれません。
否定意見によって自分の足りないところに気づかされることもあります。
自分の考えに固執してしまうこと頑固になってしまうことあります。やはり柔軟性は欲しいと思います。



否定されて心が折れる人、折れない人、その差はどこからくるのでしょうか。
否定されても心が折れない人いらっしゃいます。精神的にタフだとも言えますし、打たれ強い人だとも言えると思います。私も否定されたからといって心まで折れることはないと思っています。否定されたからといって自分のすべてが否定されたわけではないです。やみくもな理由なき否定というのは否定として成立しないと思っています。また、相手を否定するすることで自分を優位に持ってこようとする人もいたりします。自分の方が正しい。あなたは間違っていると。あるいは嫉妬からその人を否定しようとする人もいます。どうしてその人は否定するのか、その否定意見を分析してみるといいと思います。分析したところでわかるとは限らないのですが、否定意見にはその人の都合や立場、スタンスが絡んでいることが多いです。その人の都合や立場、スタンスで否定するのですからそれはもうどうしようもないです。他者のスタンスというのは変えらないものだと思います。



以前、就活で不採用の通知をもらうと自分を否定された気分になると知人が言っていましたが、それもわかります。否定されたような気分になって落ちこみます。その知人と「その会社とは縁がなかったのだ」「その会社がダメでも他にも会社はあるのだから」とそういう話をしましたが、不採用になってもめげずに就活を続けてほしいと思います。


価値観は人それぞれちがい、だからこそぶつかりあったりするわけですが、さまざまな価値観があってさまざまな人がいるから面白いというのはあると思います。自分の意見は自分の意見で持っていていいと思いますし、ただ、それを人に押しつけるのはどうかと思います。人はそれぞれの意見を持つ自由があり、それをブログで表現するのも自由です。表現したかったら表現すればいい。表現しないことにはブログに書かないことには何もはじまりません。8割でもいいから書いてみること。考えながら書いてみること。書きたいと思ったときにやはり書いて残しておくことだと思います。

否定されて心が折れる人、折れない人、その差、ちがいを具体的に書くのは難しいです。が、私は否定されても心まで折れない人でいたいと思います。自分の軸をきちんと持っていたら、おそらく折れることはないと思います。自分の軸って何?と聞かれるとなかなか説明が難しいのですが、自分の考え、自分のスタンスと言ってもいいかもしれません。試験を受けるときもそうでしたが、周りは関係ないです。自分がどれだけ問題をとけるか、合格点まで点数をもぎとれるかなんです。周りに振り回されすぎて自分の時間を失ってしまうというのは本当にもったいないです。自分の人生だから自分の足で歩かないとと思います。自分のやりたいことはやったほうがいいですし、好きなことやりたいことは大事にしたいです。頑張っていればその姿を見ている人は見てくれますし、認めてくれる人は認めてくれる。そういうものだと思います。
否定されたとしても心まで折れない。めげない。打たれ強い人というのは世の中にたくさんいらっしゃいます。見習いたいなぁとそう思います。