Twitterのさじ加減。

とてもよいなと思った文章があったので紹介します。

ツイッターに入る理由も、入らない理由ももっとも。言いたいことがあっても、それをどこで伝えるかのさじ加減は微妙。


一つ、一日の出来事をどこに書くか。一日でやったことをブログに書くと冗長になってしまうが、ツイッターはメモ帳のようにその場で書けるので便利。ブログでは目立った出来事を端的にまとめるだけ(一日の出来事が多ければまとまらない場合もある)。


二つ、自分の発言を読んでもらえるかどうか。人目は半分気にしていないようで半分気にしている。気にしすぎると自分らしさがなくなるので禁物。


三つ、他の人の分も読みきれるかどうか。その時の気分でネットを巡回しているので、毎度読みきれなくて申し訳がないです。その場その時に必要な情報を必要なだけ得られるのはネットの長所で短所。
『今日の切り抜き―長短のさじ加減。』
http://d.hatena.ne.jp/mocha8tte_millka/20100318/1268914614

さじ加減って大事だなぁと思います。わたし的には。
なんといいますか、Twitterは自分のやり方が定着してしまったので、これからもこういう感じで続けていくんだと思います。
自分のやり方でいいんですよね。
このブログでたくさんTwitter関連の文章書いていますけれど、気楽に、細かいことは気にしないでいいと思います。それは変わりません。
が、これはあくまでも個人で楽しむ場合ですね。企業さん向けではないです。企業がTwitterを使う場合、慎重さがかなり必要になってくると思います。Twitter、リアルタイム性はものすごいですし、情報が拡散するのも半端じゃないです。企業イメージがダイレクトに変わってしまうこともあります。気楽に好きなようにつぶやくわけにはいかないですし、戦略は必要だと思います。有効活用したいところだと思いますが、なかなか実際やってみるとムツカシイのではないでしょうか。そのあたりはまた思うことを書けたらいいなと思いますが。

話がずれてしまいました。元に戻します。
個人がTwitterを使う場合、Twitter各ユーザ、そこまでかたく考えて使っているわけじゃないと思います。

自分の生きている様子を書くのは恥ずかしいけれど、自分はこうやって生きたということに達成感があるから、書いた時が楽しい。
『今日の切り抜き―長短のさじ加減。』
http://d.hatena.ne.jp/mocha8tte_millka/20100318/1268914614

これはそう思います。書いている時楽しいです。
なんといいますか、人の命ってわからないです。いつまで生きられるかわからないし、で、とりあえず自分が存在したということを残すっていうのかな、ネットに足跡を残しておくみたいな感じでいいんじゃないかなって思います。
ネットの自分の足跡も永遠に残るわけでじゃないですし、極端な話、百年後自分のことを覚えている人は誰もいないのですよね。
そして今生きている人でさえ、いつまで自分のことを覚えてもらっているかわかりません。人の忘却というのは案外早いですね。せつない感じもしますが。ネットの繋がりのはかなさというのは感じることあります。何クリックかでアカウントを消すことは可能です。ログを消すことも。


ただ、私としてはいきなり消してしまうのではなく、残しておいてもいいんじゃないかなと思うのです。
楽しんでた、楽しい頃もあったということで残しておく。どうしても消したかったら消してもいいですけど…。
また時間ができたら、気が向いたら再開してもいい。
再開することで再会があるかもしれませんし、あらたな出会いがあるかもしれない。


疲れたら休む。そのさじ加減でしょうか。
めんどくさくなったら疲れているんだと思います。そういう時は休むに限ります。寝るに限ります。
まぁ思いきりTwitterをするのもいいですし、まったりとするのもいいですし。
自分のペースで楽しむ感じで。