生き残っていく上で強いのは変化力のある人、動ける人

大好きなKOTOKOさんのブログからの引用です。
某競馬中継のMCがほしのあきさんから変わったそうで、

"心機一転"とか"イメージチェンジ"のためのMC交代とかメンバー交代とかは、TV業界では当り前の事なのかもしれません(スポーツ界はもっと顕著かな?)が、こう言うことがある度、なんだかとーってもやるせない気持ちになります。
長年続いた番組が終わるって時も、同じ。

http://blog.kotoko.asia/2010/04/post-451.html

そうですね、長く続いたものが終わるというのはせつないやるせない気持ちになりますね。

TV番組に限らず、どんな会社・集団にも"新しい風"を取り込む事は大切な事。
でもその影で、一時代を築いて来た人たちが退いていくと言うのを見るのは、とても切ないです。
本人にとっては、いくら愛情や思い入れの強い場所でも、時期が来れば離れなくてはならない。。。それが、大きく括った組織を守るためであったりする。
諸事情が絡み合っての事とは思いますが、ずーっと同じメンバーで、末永く・・・って言うのがあっても良いのにな・・・そんなに心機一転・イメチェンが大事なのかな?って思ってしまいます。
まぁ、人々の刺激になってこそ存在価値のある芸能の世界は、必然的にこう言う事が第一になってしまうのかもしれませんが・・・。
それに、退かれた方ご本人もそれぞれ次の仕事があって、新たな目標をお持ちなら、私が思うほど淋しい思いもなさっていないのかもしれませんしね(^ ^;)

http://blog.kotoko.asia/2010/04/post-451.html

変化か安定か

マンネリ化というのかな、そういうのは感じることありますね。
私のブログも、マンネリ化して似たようなことばかり書いているなぁと思ったり。
読んでいる人からまたか、と思われているんじゃないかと思ったり。
マンネリという表現はネガティブな感じがしますが、ポジティブに考えると、慣れていて安定感があるという面ではいいのかもしれません。変化よりも安定を求める人がいるというのも確かです。

変わった私も私に変わりはないということ

新たなインプットをしないかぎり、アウトプットは似たようなもの同じようなものばかりになってしまうというのはあると思っています。
似たようなものばかりアウトプットしてもしょうがないな、と思うので、どんどん新しいものをインプットしているわけですが、そうしてインプットすることで出てくるものが変わってくると、ああ、こもこさんって最近変わったよね、と言われたりするのですよね。
その変わったよね、と言われるのがちょっとイヤで、その人にとって変わったと思われるかもしれないけれど、変わった私も私なんですよね。私には変わりはない。そう思います。なんていうか、変化を受け入れられないようなそういうスタンスにはなりたくないな、というのがあって、変化は変化で受け入れるという感じがいいな、とそう思ってます。

けれど、こう言った事は芸能の世界に限らず、一般の社会でも良くある事です。
いざ自分が "新しい風" "世代交代"という言葉に立ち向かわなければならなくなった時、自分は何処へ向うべきなのか、何が大切なのか、何が出来るのか・・・すがりつくのではなく自分で自分の道を選べるよう、中身のある人間にならなくてはいけないのでしょうね。
http://blog.kotoko.asia/2010/04/post-451.html

ええ、ここですね。ここに雷を打たれた気分になりました。
立ち向かわないといけなくなるとき、あります。
まわりの変化にどう対応するか。
自分は何処へ向うべきなのか、何が大切なのか、何が出来るのか
すがりつくのではなく自分で自分の道を選べるよう、中身のある人間にならなくてはいけない
たぶんですね、私の性格なのだと思いますが、すがりつくというのが好きではなくて、すがりつくのではなく、むしろ自分でどうにかしようと思うのですよね。結局は自分の人生ですから、自分で選べるものは選びたい。そして選ぶことができるよう中身のある人間になりたい、とそう思います。中身のある人間。ええ、それってなかなか難しいのですが、中身は重要ですよね。

対応力があって、変化についていける、そういう人が必要とされる時代

また、どこでもやっていける人間でありたいというのもあって、どこでもやっていける動くことができる人間。オールラウンダーな人というのに憧れます。そして、これからは自分で動ける人間、非指示待ち人間じゃないといけないと思うのですよね。
会社も企業も生き残りをかけていっぱいいっぱい。動かない人間はいらない、そう思っていると思います。
対応力があって、変化についていける、そういう人が必要とされる時代になってきているんじゃないかと。若い人の方がまだ変化についていける変化に対応できるというのはあると思います。

沼地化と動かない社員

あるセミナーに参加しましたが、年配の方々の保守的なその考え方にちょっとそれじゃ変わらないよ、よい方向になんか持っていけないよ、と思いました。考え方、やり方を変えられないことで、沼地化するというのはあると思うのですね。その職場が沼地化。沼地になってしまって、身動きが取れなくなる。変えたほうがいいとわかってはいても変えられないでいる。そういう職場もあるのではないかと思います。
また一方で、口数が少なく、何を考えているのかわからないという若い人たちに手を焼いているという職場もあるみたいです。仕事にはくるけれど、動きが緩慢で、日々のルーチンのみで、会議や出張を嫌がり、とにかく自席から動くことを嫌がる、と。動かない社員というのは、上司や会社側からしてみれば頭が痛い存在だろうと思います。たぶん、きれるものならきりたい(解雇したい)そう思っているのではないかと・・・・・・。こういうご時世ですから、会社の状態によっては実際にきられる(解雇される)こともあると思います。動かない社員はいらないと。



さて、私としては良いものは良いものとして残していいけれど、新しい風もどんどん取り入れたいなと変化を厭わないというか、変化をむしろ楽しみたいな、とそう思います。
自分の軸というのかな、自分というものがしっかりしているので、多少まわりのものが変わったとしても揺らがないというのもあるかもしれません。小さなことに動じたくないというのもありますし、変わること、変わっていくこと、それは当然のことだと思うのですよね。
Twitterもそうですが、確かに変わっていっていると思います。が、それはそういう流れなのだからそれはそれでいいんじゃないかと思っています。反発したい人は反発してもいいですし、新しい流れを作りたかったら作ればいい。そう思います。

変化を受け入れる能力
変化する能力
変化を受け入れかつ対応できる能力

まとめて

変化力

と表現してもいいかもしれません。
そういったものものを持った人は強いと思います。そういう人が必要とされ、変化できない人は苦しくなってくると思います。動かない社員は会社はいらないと思っていると思います。
ええ、生き残っていく上で強いのは変化力のある人、動ける人といえるのではないかと。