なんのために私たちは生まれてきたのか

私たちは、食べるために生まれてきたのではなく、もちろん金のためでもなく、楽をするために生まれてきたのでもなく、子孫を残すためでもなく、長生きをするためでもなく・・・自分の情熱を燃やすために、向いていることをこの人生でやりつくすために生まれてきたのではないだろうか。愛する人々への愛情を抱きながら、たくさんのよき思い出をつくって、それを大事に抱えて悔いなく死ぬためにここにいるのではないだろうか?

と作家のよしもとばななさんが「ゆっくりAERA No.56 12/10号」の中で書いていて、なるほどなぁと、そういう風に考える人もいるんだなぁと。


さて、5月あたまから体調を崩してしまい、やりたいこともできず、できないということがストレスになってしまっています。
ああ、健康は大事だな、とつくづく思うわけで、結局自分の体をコントロールできるのは自分しかいないんだなと。
薬の力を借りるにしろ、きちんと症状に合った薬を自分で選んで飲まないと治るものも治らない。
わたし自身病院にかかることはめったになくて、薬に頼りたくない、人の体には本来治癒力があるんだから、ちゃんと休めば大丈夫だとそう思っていたりします。まぁ仕事があったり家のことをしなきゃいけなかったりで、なかなかちゃんと休めないのが実情なのですけれど。(だから不調が長引いている。もうそろそろ回復してもいい頃なのに)


なんていうのかな、人はやりたいことをやっているのがいちばんだと思うのですよね。
誰から強制されたわけでもなく、やりたいことをやれるというのはしあわせなこと。
やりたくもないことをいやいややって、それでよい結果が出るかといえばそうは思えませんし、やりたくもないことを続ける労力ももったいないし、時間ももったいない。
そんなこと言ったってやりたいこともやらなきゃいけないし、という声あると思います。
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そういうやりたくないことは、とっとと終わらせてしまいましょう。

やりたくないことでやらなきゃいけないことをいつまでも後回しにしても精神衛生上よくないです。
とっとと終わらせて、次へいく。やりたいことをする。これに限ります。


やりたいこと楽しいことをするのって疲れないと思うのですよね。
何時間でも疲れない。
夢中になる。フローになるっていうのかな。


知人は「絵を描いている間は何時間描いても疲れない」と言っていました。
描くのが好きだから疲れない、むしろもっともっと描きたいと思う。
自分の絵をよりよくしたいと思うと。


やっぱりですね、楽しいというのがいちばんしあわせを感じるときなんじゃないかな、と思うのですよね。楽しいと感じるものはこれまた人それぞれちがうわけですけれど。
病気や怪我で痛かったりしんどかったりしたら、それまで楽しいと思っていたことも楽しいと思えなくなる。体調不良で楽しいこともできなくなってしまうというのは非常に残念でストレスだったりします。


健康がいちばんだなぁと。

なんのために私たちは生まれてきたのか。

それは人それぞれ考えることはちがうと思うのですけれど、
私はやりたいことをやるために生まれてきたんじゃないかな、と。
誰かに迷惑をかけたり誰かを泣かせたりするのでなければ、わりとなんでも好きなことをやっていいんじゃないかと。
そんなこと言ったってできないし、とストッパーをかけているのは案外自分自身なんじゃないかな、と。
できないというストッパーをはずして、一歩踏み出してみたら、案外するするとうまいこと進んだりするものなんじゃないかな、とそんな風に思うのです。