「人間的に嫌い」ということにこだわりすぎるとうまくいかなくなるんじゃないかな。

ある人の話を聞いて思ったこと。

Aという人がいて、確かに仕事はできるし速いのだけれど、
いかんせん自己中心的で、仕事さえ終わればあとは何をしていてもいいという態度が気に入らない。
会社という組織にいるのに、周りに目がいかない、自分の個人プレーに満足しているそいつが人間的に嫌いだ。


ああ、そういう場合もあるんだなぁと。
仕事はできるけど人間的に嫌い。
でも嫌いだけれど、それでも同じ会社の人間として嫌いというところを我慢しつつやっていかない。ストレスが溜まる。ということなのかな。


うーん、これは、どうしようもないのかな、とも思う。
Aという人の協調性のなさは今はじまったことではないらしい。おそらく、他の人からどうこう言われようと気にするような改めるような性格でもないんじゃないかな。新人(新入社員)というわけでもなく、彼のこのスタイルで会社でずっとやってきているから、このスタイルを外側からどうにか変えようとするのは難しいんじゃないかな、と。


人を変えるのは難しいですよね。
自分から変わろうと思わないと変わらない。そんなものだと思います。


ただ、私が思うのは、会社の中に仕事ができて速くて、余力がある人がいるというのは、まだいいんじゃないかな、と思う。みんながみんないっぱいいっぱいで、余裕がなくて、きゅうきゅうとしているより、一人でも余裕がある人がいれば、あてにできる。あてにするという言い方は語弊があるかもしれないけれど、仕事を頼もうと思えば頼める。仕事を手伝ってもらおうと思えば手伝ってくれる。業務命令なら彼もしないわけにはいかないだろうし、頼りになる助っ人ということでAさんを持ち上げれば、Aさんも悪い気はしないんじゃないだろうか。力になってくれるんじゃないだろうか。


人間的に好き、嫌い。
それはやはりあると思う。
が、「人間的に嫌い」ということにこだわりすぎるともうまくいくものもうまくいかなくなるんじゃないかなと思うのですよね。
その人のスタイルがある人ならそのスタイルを尊重しつつ、活躍の場を与えることは可能なんじゃないかな、とそんなことを思ったので書いてみた。