「あと何回いっしょに正月を迎えられるかねぇ」

「あと何回いっしょに正月を迎えられるかねぇ」

高齢になった祖父の言葉でした。


当然ですが、人は年をとっていきます。
生老病死。
いつかは死にます。
死は容赦ないです。
人間生きるときは生きますが死ぬときは死にます。


人って徐々に変わっていくものなんですよね。
自分では自覚しないかもしれないけれど、成長のてっぺんまできたらあとは少しずつ衰えていく。
それが自然の理なんですよね。
それには逆らえません。


わたし自身10代や20代の体力はありません。
が、体調は10代20代よりいいかもしれません。
10〜20代頭痛持ちで鎮痛剤を持ち歩くほどでしたが、今は持ち歩いていませんし、買い置きもなくて、いざというときに買いにいかないといけなくて困るくらいです。胃腸薬や正露丸等も買い置きはないです。普段必要がないのですよね。10代20代の頃を思ったら考えられないことです。


つまり、変わったのだと思います。
睡眠や食事に気をつけ、無理をしないようになって、薬がいらないようになりました。
若い頃10代20代の方が心身ともに不安定かもしれません。
が、年をとるとともに安定してくるというのはあります。
体質が変わってきたりというのもあります。


自分の親を見ても変わってきているなぁとそう思います。
年をとるとともに穏やかになってきているように思います。
年をとると頑固で融通がきかなくなって、という話も聞きますが、そういう人ばかりではないようです。穏やかに丸くなって怒らなくなる場合もあります。


それを言うならわたしもそうかもしれません。
年をとるとともにあまり怒らなくなりました。
そのことについてはここでも書いていますので

『怒らずに伝えよう。説明しよう。』
http://d.hatena.ne.jp/komoko-i/20100325/p2
『おだやかのススメ。』
http://d.hatena.ne.jp/komoko-i/20100412/p3

興味があるかたはどうぞ。


今は自分の親と折り合いが悪くて、という方もいらっしゃるかもしれません。
でもですね、長い目で見て、十年もするとお互い変わっているというのがあります。親もいつまでも今のままじゃないです。少しずつ変わっていきます。
円熟していくというのかな、年をとるとともに余裕がでてきてイキイキしてくる人もいます。

親には親の考え方があり人生がある。
自分には自分の考え方があり人生がある。

お互いの考え方を押し付けるのがうまくいかなくなる原因なのだと思います。
干渉しすぎてもうまくいかなくなります。


親はともすると子どもをコントロールしようとしがちです。
が、子どもには子どもの考え方があります。
それは未成年であってもそうです。
未成年の子どもでも自分の考えを認めてほしい、否定しないでほしい、そう思うものなのです。
子どもが親の言うことをすんなり聞けないそういうものなんですよね。
反抗期とも言われますが、子どもの頃、親に反抗した記憶がある人、親がとにかく嫌いで嫌いで早く親から離れて独立したかった、そういう人もいらっしゃると思います。


自由がほしいもの。
自由になんでもしたいもの。
好きなものを買い、好きなことをし、それには親が邪魔だったり。
親がうざくてしょうがなかったり。


独立心が強い人は早めに親元を離れ自分で暮らしてみるのもよいのかな、と思います。離れてわかること、あります。自分でやらないといけないことの多さ。めんどくささ。


自分の自由が手元にあって、経済的にもそれほど困っていなくて、親との距離も適度にとれていると、親との関係は安定したものになってくるのですよね。
ある程度の距離感、ほどほどの距離は実はあったほうがいいように思います。近すぎるとぶつかります。スープが冷めない距離という言葉もありますが、それは当たっているかもしれません。


親もそうかもしれませんが、長い間会っていなかったり、コミュニケーションをとっていない人と久しぶりに会った際違和感を覚えるというのはあります。
いえ、そうでない場合もあるかもしれませんが、わたしの場合、相手がすっかり変わっていることに戸惑った経験があります。十年ぶりくらいに会ったのですが、ああ、年をとってるなぁとそうしみじみ思いました。まぁわたし自身の見た目も変わっているわけですが。


変わること、それはもうどうしようもないです。
自分では変わっていないつもりでも変わっているかもしれません。
逆に変わったと思っていても実はそんなに変わっていないという場合もあります。
また変わることそれ自体別に気にしないという人もいます。
変わろうが変わるまいが自分は自分。
それはそれでいいと思います。


根本的な部分は案外変わらないのかもしれません。
子どもの頃から書くことが好きで、それは今も変わりません。
ずっとずっと書いていたいです。


書くことが好きなのは祖父の影響かもしれません。
ええ、冒頭の祖父です。
お盆と正月は祖父、祖母のいるうちへ帰省する。そういう家庭はまだあると思います。


わたしの個人的な考えですが「お盆と正月くらいは帰ろうよ」とそう思います。遠方で費用がかかるのであれば、年に一回でも。帰ってもたいしてすることはないかもしれないけれど、いっしょにご飯食べて、話をして、テレビでも見たらいいじゃないですか。
お正月ですと、テレビで箱根駅伝を見て盛り上がります。楽しい時間です。
みんなでのんびりだらだらと過ごすのもよいです。コタツでみかんを食べたりして。
やはり親も子どもが帰ってきたらうれしいものだと思います。

「あと何回いっしょに正月を迎えられるかねぇ」

高齢の祖父の言葉でした。
高齢になると、これが最後の家族との正月になるかもしれないとそう思うのかもしれません。
いつまで家族そろって正月を迎えられるかわからない。
みんなでそろってお正月を迎えられたら、それは幸せなことだと思います。
無病息災。
なにごともないのがいちばんだと思います。


人は年をとっていきます。
生老病死。
いつかは死にます。
いつか死ぬということは避けられない。
それならできるだけたくさんの良い思い出を。
家族もそうですが、なくしてからでは遅いのですよね。
「もっと〜すればよかった。」
「〜してあげればよかった。」
そういう後悔は少ないほうがいいですよね。
いつか死ぬということは避けられない。
それなら死ぬまでの時間を有意義に楽しく過ごしたい。そう思います。