能力を発揮できる場所を見つけるということ。

人それぞれ才能や能力は違うわけだが、

その才能や能力を発揮できる場所がなければ、何の役にも立たないのだということ

そのことを今日は考えていた。
裏返せば、

その才能や能力を発揮できる場所を見つければ、その才能や能力は役立つものになるのだということ

と言えるのではないだろうか。


人それぞれ能力はちがう。
適材適所という言葉もあるように、

自分が得意だと思う能力を生かせる場所を見つけること

それが大事なのではないかと。


今英語を勉強している自分が言うのもなんだが、勉強する時間も限られている今の状態ではやはりある程度しか英語の上達は望めない。
仕事で必要な程度の英語ができればよい。そう思っている。
英語オンリーで仕事ができるとは思っていない。
英語という分野で、すでにその能力をいかんなく発揮している人はおおぜいいるわけで、その人たちに敵う日はまずこない。そう思う。


英語は必要だから勉強する。が、他にもやらないといけないこと、やりたいことはあって、英語だけ勉強していればいいというわけでもないのがわたしの今の状況だ。


苦手なことをし続けなければならないのは苦痛だ。ストレスもたまる。
ストレスをためることは心にも体にもよくない。そう思う。
英語は必要な分だけでいい。そう思い始めている。


ある人の話だが、日本で仕事をするよりも海外で仕事をするほうが性に合っているらしく、実際海外にいるときのほうが、体調もよくイキイキとしているらしい。
自分の語学力が発揮できてうれしい、というのもあるようで、おそらくその人の能力(語学力)を思う存分発揮できる場所が海外ということになる。


もし、そういった自分の能力を生かせる場所を見つけることができたなら、仕事も面白いだろうし、成功する確率もぐんと高くなると思う。
もっとも、自分に特に秀でた能力がない場合もある。何が得意と言われてもすぐに答えられなかったり。だからこそ自己分析をしたりするのかもしれない。


しかしながら自己分析したところで、自分の能力が生かせるようなそういう仕事につけるとは限らないのが現実かもしれない。
とりあえず仕事について、そのうち思ってもいなかった能力が伸びてくるという場合もあるだろう。それはそれで新たな能力の開花と喜んでいいと思う。



どこかに能力を発揮できる場所があると信じたい。
その場所が見つかるまで試行錯誤するのもよいと思う。
青い鳥を追うことにも似ているかもしれないが、きっとどこかにあると思う。あきらめなければ、いつか・・・。


スラムダンク安西先生の言葉を思い出す。

あきらめたらそこで試合終了ですよ・・・?