ネットに情報を求め、ネットで発信することで得られるもの

ネットに情報を求め、ネットで発信することで得られるもの

それはなんだろう?

「ぽぽぽぽーん」のこと

いつの頃かテレビは決まった番組しか見ないようになった。
特に民放を見なくなった。
震災が発生したときはテレビに釘付けになったけれど、見ていたのはNHKだけ。
民放を見ないので、「ぽぽぽぽーん」が何のことかわからず、Twitter(ネット)で知ったのがわたしだ。


かなりあとになって、民放で「ぽぽぽぽーん」を見た。
ああ、これか!


わたしの場合「ぽぽぽぽーん」の情報としてはネットが早くて、実際の「ぽぽぽぽーん」をテレビで見たあとも、詳細について作曲者や絵を描いた人、どんなバージョンがあるのか等について調べたのはネットだった。


つまり、結局またネットに戻って詳細について情報をわたしは求めた、というわけだ。


ネットは知りたいことを調べるためのツール

やり方を覚えたらネットほど便利なツールはないだろう。


わたしの母はネットをしない。
ゆえに調べ物を頼まれることがある。
「ネットで調べてほしい」と。
それはどこかの場所だったり、営業時間だったり、電話番号だったりするのだけれど、ネットでググればすぐにわかることばかりだったりする。
そういえば、電話帳も長いこと見ていないし、104(電話番号案内)に聞くこともなくなったように思う。
わたしの母はネットはしないが、ネットが知りたいことを調べるのに便利だというのはわかっている。ネット環境が実家にはないけれど、まぁネットができなくてもわたしに聞けばすぐに調べてくれるからそれでいい、という感じだろう。


ネットが便利で、むしろわたしにとってネットはなくてはならないものになっていて、それ以外のものは蚊帳の外に置かれつつあるように思う。
単なるネット中毒といえばそれまでだけれど、テレビはせいぜいNHKを見るくらいで、わたしにとってテレビはもはやひきつけられるものではなくなっている。
まぁ別に見たくなければ見なければいいじゃないか、と、それだけの話なのだけれど。

発信することで得られるもの

いつか本を出したいと思っているわたしはかなりの量の文章を毎日書き、こうしてブログとしての文章も日々書いてアップしている。


ネットは玉石混交の情報の宝庫で、しかも自分で発信することもできるとなるとハマらないわけがない。


Twitterが登場してますます発信しやすくなったというのはある。


人それぞれやはり言いたいことがあって、そしてそれを誰かに聞いてもらいたいのだと思う。発信することで得られる満足感は大きい。

まとめ

ネットに情報を求め、ネットで発信することで得られるもの

それは情報を得られることによる安心だったり満足だったり、発信することで情報がまた得られたり、発信することで満足感もまた得られたりというのはあるように思う。また人とのつながりもネットで得られたりというのもある(人によってそのつながりの多い少ないはあると思うが)


まぁネットに限ったことではないのだけれど、ソースがどこであれ、情報に誤差や間違いはつきもので、そこのところは頭に置いておかないといけないと思う。
誤差や間違いはあるにせよ、それでもネットは便利さという点において他に敵う物はないのではないと思う。


得るものが多い一方で失うものもまた多いのだろうか。ネットによって失うもの、それは時間だろうか。
しかしながら、安心や満足やつながりといったものを得られるのであれば多少の時間を使ったとしても惜しくはないとそう思うのだが。