忘却力について

今日、TOEIC試験を福岡市内で受けてきました。試験の感想は別に記事を書きたいと思っていますが、今日書きたいのは忘却力について。


試験会場に行く途中、私を追い越そうとする自転車に気をとられ、足元も見ず端によけたら、段差につまづいて転倒。腕を擦りむき、足を打撲しました。
腕のすり傷は思ったよりひどくて、実は試験会場に一旦入り、受験番号と自分の教室を確認してから、近くの薬局へ消毒薬やガーゼ等買いに走りました。かなり大急ぎで。出血もしていたので、ガーゼで押さえつつTOEIC試験を受験することに。


痛みをこらえながら「何やってんだ、わたし」と思ったのは確かです。ズキズキ痛くて試験に集中できない。
自転車に乗っていた人は「大丈夫ですか?」と言ったものの自転車から降りることもなくそのまま走り去ってしまい、なんともやるせないというか。まぁ「てめーが勝手によけて転んだんだろ」と言われたらそれまでですが。


この転んだアクシデントのことをTwitterでツイートしたところ、
http://twitter.com/#!/komoko
多くのフォロワーさんに心配のリプライをいただきました。病院に行ったほうがいいよというリプライも。ありがとうございました。


実のところ、前にもわたしは転んで怪我しているのですよね。そのことをフォロワーさんから言われて、ああ、そういえば、そうだった!と思い出したわけで・・・。はい。以前も転んで怪我していましたが、ころっと忘れてました。


忘れっぽいというのかな、うむむーと思うことや嫌なこともそのうち忘れてしまいます。誰かに言われたら思い出すくらいで、すっかり忘れているのですよね。前にも書いた気がしますが、わたしの場合どうも脳が上書きモードみたいです。


記憶力が特別ないとか記憶力に問題があるとかそういうわけじゃないと自分では思っていて、言われたら思い出せるのですよね。ああ、そういえばそういうこともあったなぁと。


そして別のフォロワーさんからそれは「忘却力があるのでしょう」と言われて、おぉー、なるほど、と。


忘却力。
忘れる力。


この忘却力というのは、かなり個人差があると思います。なかなか昔のことを忘れられない。克明に思い出せる、何度も思い出してしまうという人もいらっしゃるかと思います。


記憶力がないのも困りますが、嫌なこと、不快だったことは忘れてしまったほうが楽だと思うのですよね。わざわざ嫌なこと、不快だったことを思い出してそれを再確認しなくてもよいのでは?と思うのです。


とはいえ、つい思い出してしまうということはあると思います。それはそれで仕方ないと思います。まだその時の傷が―心の傷―が治っていないのだと思います。忘れられるものなら忘れてしまいたい。でもふと思い出してしまう。思い出したら、しくしくと痛い。―――痛いけれど、いつか癒える日はくる。時折痛くて泣いてしまうかもしれないけれど、時間が癒してくれる、いつか泣かずにすむようになる。だから無理しなくていい。焦らなくていい、そんな風に思います。


わたしのことで言えば、年をとるとともに忘却力は増しているような気がします。やること、やりたいことがいろいろあるので、そちらのほうに意識をシフトしてしまうのかもしれません。いつまでも過去のことにこだわっていられないというのもありますし、今という時間を大切に使いたいというのもあります。


考えてもどうしようもないことは、やっぱりどうしようもないのですよね。忘れることができないなら、ちょっと横のほうに置いておくとか、他に集中すべきことに集中するとか、まぁひとつのことに囚われすぎるのはよくないかな、と。


今回のような怪我もいつかは治ります。痛みもそのうちなくなります。もう怪我してしまったことはしょうがないので、あとは消毒したりして治すしかないな、と。
まぁ「足元、段差には十分気をつけましょう!」ということを学んだのでよかったのではないかと・・・。*1

*1:こういう学んだこともそのうち忘れるので、こうしてブログなどに書いて残しておいたほうがいいよね、と思ったり。