支えること、自由・自立・自在、そして愛について

多分ですね、誰かのために何かができるというのは生きる支えになるとそう思うのですよね。生きる支えと書くと大げさな気もしますが、誰かの役にたてたり、誰かの支えになれたらうれしいもの。まぁ極端な依存関係になるとまずいな、とは思うのですけれど、恋人や伴侶、家族はとくにお互い支えあって・・・がベースにあって安定していられる。それは言えるかな、と。
私の場合ですが、お互い文句や愚痴を言い出したらキリがないので、文句や愚痴は極力言わないようにしてます。仕事の愚痴などもうちの中では言わないようにしてます*1そんなこと言ったって、愚痴も言えないようじゃ爆発してまう!という人もいるかと思いますが、聞かされる方の身になると、やっぱりツライです。いい気分にはなりません。まぁもし愚痴をこぼすなら、サラッと。あまり長々グチグチ言わないことでしょうか。

話がズレました。先日、NoBorderのお題で愛について書きましたが、これは今のところ揺らぐことはないです。与える方が好き。誰かのために何かをする方が好きなのです。ただ、それが押しつけややりすぎになってしまうことがあるので、気をつけたいな、と。

必要とされていたいというのもあると思いますし、何より「何かしていたい」というのがあるのですよね。自分のことだけしていればそれで満足かというとそういうわけでもなくて、与えられる立場になると申し訳なくなってしまうというか、庇護され守られるのは楽だど、それだけじゃなぁと・・・。

私の好きな言葉が

自由・自立・自在

というのもあるかもしれません。これについてもいつかいろいろ書きたいですね。どういうのが自由で、自立で、自在なのか、考えるとワクワクします。

自分の好き嫌いやスタンスというのは年をとるとともにはっきりしてきて、年々自分らしくなっていっているというのは言えるように思います。自分らしくないことには抵抗感を覚えますし、向いていないことは続かないもの。自分の好きとかスタンスに忠実であるほうが楽だしストレスも少なくて済みます。「どうやって自分の嫌いなことやスタンスに反することとうまく折り合いをつけるか」そこが生きやすさや人生エンジョイの鍵になるのかもしれません。つい最近も「寛容と我慢ってどうちがう?」ということについても少し考えたのですが、まだ文章にはしていません。

今回、愛について書いていますが、自分のスタンスがはっきりしたのでよかったな、と。(時間が経ってスタンスが変わる可能性もあるわけですが)
NoBorder用に書いた原稿の引用です。

タイトル:愛されるよりも愛したい


第10回のお題「あなたにとっての『愛』ってなんですか?」


なかなか難しい問題ですが、ぱっと思ったのは「愛は与えるもの」ということ。わたし自身が愛されたいと愛を求めるタイプかというと実はそうではなくて、むしろ逆で、与えるほうだな、と。

うまく書けないのですけれど、私は「誰かのために何かをする」のが好きなんですよね。文章を書くのが好きなので、自分が書いたものを読んでちょっと元気になれたり、考えるヒントになったり、誰かのプラスになったらいいなぁと。

子どもの頃からそうでしたが、私はかなり感受性が強いです。感受性が強い分、嬉しいとか喜びといった感動も強いのですが、一方で、葛藤やストレスも強いです。感受性の強さは「諸刃の剣」だと思ってます。「感情が豊かだよね、喜びをはっきりあらわすよね」と言われる反面、苦しんでいる時はものすごく苦しんでます。それをネット上ではできるだけ出さないようにしているだけで、つらいときもあります。

男性であればつらい時はじっと耐えて、というパターンになるかと思いますが、私(女です)は案外すぐに弱音を吐いてます。ひそかに弱音を吐ける相手がいて、しあわせだなと思います。最近はだんだん弱音を吐かなくなっていると思うので、少しは成長しているのではないかと思います。

ひそかに弱音を吐いたりもしていますが、でもその分、元気な時は「与える側でいたい」です。与える側でいても、でもちゃんと返ってくるのですよね。ポジティブなものを発信すれば、ポジティブなものが返ってきます。それが嬉しいです。

あなたにとっての『愛』ってなんですか?

愛は与えるものだと思います。


愛されるよりも愛したい。そう思います。

http://blog.livedoor.jp/noborder12/archives/6132527.html

*1:職場でも愚痴を言うことはないです