ブログ。「ちゃんと聴いてて 伝わるまで叫び続けるから」

「長く続けるということは、さみしさを貯めてゆくということ」

ココログ8周年─長く続けるということは、さみしさを貯めてゆく、ということ。(CONCORDE)より
http://concorde.air-nifty.com/first/2011/12/cocolog_8th.html

ああ、そう感じる人もいるんだな、とわたし的には思ったわけで。
ココでも書きましたが、

自分なんかまだまだだ、そう思います。まだまだやりたいこと、読みたい本、書きたいこと、山ほどあって、そのことでいっぱいで、さみしいとかつまらないとか、そういうことを感じるヒマもないです。
「誰かに嫉妬するくらいなら、自分を磨こうよ、自分のことをしようよ。」(かみんぐあうとっ
http://d.hatena.ne.jp/komoko-i/20111203/p1

かみんぐは4周年を迎えましたが、3周年を迎えた時点で「ひよっこ」とまなめさんから言われた(確かブコメで)のが、ある意味良い起爆剤になったというのはあります。そうか、3年じゃ「ひよっこ」のか。それじゃ、どうしたら認めてもらえるんだろう、と思ったのですよね。

認められたい

その一心で、こんなにも書き続けているのかもしれないです。
自分が書けるものを書くしかなくて、それを続けているうちに思いかげないホームランもあったり、これから先、これほどのホームランはもうないかもしれないけれど、でも打席に立てば、それなりに打てるかもしれない。打席に立てば、まぁ見てくれる人はきっといるだろう、そう思うのです。

打席に立つことすらやめてしまえば―更新することをやめてしまえば、そこで終わりです。ベンチにいる人、バットを持っていない人に注目する人はいないと思います。

見てほしい、読んでほしい、そう思うなら更新すること。更新をめんどくさがらないこと。

ただ、私の場合、認められたいというその気持ちばかりが先行しすぎて、生き急ぎすぎているそんな気もしています。

かみんぐあうとっすると、私は浜崎あゆみさん大好きです。浜崎あゆみさんの「I am」はもうどれくらい聞いたかわからないくらい好きです。

ちゃんと聴いてて 伝わるまで叫び続けるから

浜崎あゆみ 「I am」 歌詞より 

伝わらないのを嘆いても仕方ない。わたしは、伝わらないからといってあきらめたくない。伝わるまで書き続けたい。そう思います。

そして愛する歌姫KOTOKOさんの

きっとわがままでも涸れた声で叫び続けたい

KOTOKO 「縁取りの世界」 歌詞より

これですね。わがままでも叫び続けたい。
ここ、かみんぐは自分の城で、多少わがままでもいいのかな、と。

「絶対伝わらない、何も伝わらないってことはない」。それは私の持論です。書き続けていれば、何か伝わります。それぞれがそれぞれの感覚でなにかを感じるもの、ジャストフィット、思ったとおりに伝わること、そればかりを期待するのは甘えです。人は解釈したいように解釈するもの。むしろ、だからこそ良いのだと思います。他者の考えを吸収するばかりでなく、反面教師にしたり、踏み台にしたり、その人独自の考えを展開していってほしい、そう思います。


そして、まなめさんがまなめはうすで

S嬢さんの例の記事は心強く打たれた人、案外周辺に多くてわかります。粋なブロガー、私は続かないことが問題ではなく、新しく出てこない、あるいはそれを見つけられていない、評価されなくなったことに問題あるのかなって思います。なんだかんだで、3.11で受ける話題が一変しましたからね・・・
http://homepage1.nifty.com/maname/log/201112.html#040456p3

とコメントされていましたが、新しく出てこない、見つけられていない、評価されないといのであれば、新しくブログをはじめてみたくなる雰囲気を私たち既存のブロガーが作っていけばよいのでは?と。

見つけることに関しては、ココでも書いていますが、ニュースサイトで、ピックアップ力に定評があるまなめはうすさんに

個人のマイナーな誰も見つけてないような、そういう記事を発掘して、どや顔で持ってきてほしかったり
「サイトもブログもコンテンツありき。+「コメント力」があれば最強。」(かみんぐあうとっ
http://d.hatena.ne.jp/komoko-i/20111201/p2

ええ、見つけられていないのであれば、まだ見つかる可能性あります。ダイヤの原石はきっとどこかにあります。見つけられていないだけです。ただ、その見つける才能というのは、ある人ない人やはりいるわけで、まなめさんは見つける才能あると思います。ぜひとも見つけてドヤ顔してほしいです。

評価は、まずは表にそれが出ないと始まらない、そう思います。多くの人の目にさらされないと評価というのはつかないです。多くの人の目にさらされて、それで書いた人は「あわわわ」と引っこんでしまわないでほしい。アクセスの多い少ないで閉鎖しないでほしい。

「アクセス数の多い少ないでは閉鎖しない」(かみんぐあうとっ
http://d.hatena.ne.jp/komoko-i/20071127/1196162121

確かに、長く続けていくことで感じるさみしさもあるかもしれませんが、私としてはさみしさではなく続けていく楽しさのほうをどんどん掲げていきたいです。「ブログ、楽しいですよ。ブログに何か書いて、更新したらぜひTwitterでつぶやいてください!つぶやいたら見に来るフォロワーさんきっといますから!」そういうことを私はよく言っています。

なにか新しいものがあるところに人は来ます。

「寂しいサイトに人は来ないと思うよ?そこにいけば何かがある。新しい何かがあるっていうところに人は集まるんじゃないかな?」(かみんぐあうとっ
http://d.hatena.ne.jp/komoko-i/20080917/p1

これも今もそう思います。
更新至上主義というわけではありませんが、自分の城が新しい何かがある場所でありたいな、と。



「ちゃんと聴いてて 伝わるまで叫び続けるから」