読者が見える怖さ

まなめはうすのまなめさんのブログ記事

『読者が見える人、読者に見える人』(304 Not Modified
http://maname.txt-nifty.com/blog/2012/03/mieruka.html

を読んで。
脊髄反射的に書いてしまいます。ていうか、書かずにはいられなくなったので。

ブログを書いている人にとってどんな人が読んでいるんだろうって一度は考えることだろう。読者が見えていると安心し、読者が見えなくなると不安になる。ターゲットを見失うってことになるのかな。
『読者が見える人、読者に見える人』より
http://maname.txt-nifty.com/blog/2012/03/mieruka.html

読者が見えなくなると不安になるかって、不安になるどころじゃない。正直言って怖い。これまでリプライしてくれた人のリプライがなくなり、コメントがなくなる。はてなスターが押されなくなる。だから、私は途中からはてなスターを設置するのをやめたのですよね。

その面から考えると、スターやはてブはIDが見えるので、はてなはブロガーを安心させるサービスとして非常に役立っていると思う。
『読者が見える人、読者に見える人』より
http://maname.txt-nifty.com/blog/2012/03/mieruka.html

うーん、安心させるかなぁ?
安心させるサービスでもあり、不安にさせるサービスでもあると思うのです。私のブログで言うとここのところずっとブクマされることが減っていて不安になってます。そんなに記事つまらないかな、と。
自分のブログにスターを設置しててもひとつも押されず、はてブも自分のセルクマだけ。そのみじめさ、残念さにブログをやめたくなる人もいるんじゃないかな。

しっかりとターゲティングできている人は「どんな人に読んで欲しいか」を考え、「読んで欲しい人にどのように届けたら良いか」を計算しているのだろうけれど、私のようなコンテンツを作ることの楽しさの方が勝ってしまう素人には、そこまで正しい方向付けはしていない。せいぜいたまにしか更新しないブログを見てもらうために、毎日ニュースサイトを更新するくらいだ。
『読者が見える人、読者に見える人』より
http://maname.txt-nifty.com/blog/2012/03/mieruka.html

私自身は「どんな人に読んで欲しいか」考えながら書いています。考えながら書くようになったというか。書いたもので判断され評価される、ずっとあとあとまで残る、それを考えると迂闊に適当なことは書けないな、と。なんていうかコンテンツは私で、私から出てくるものがすべてなのですよね。それ以上でもそれ以下でもない。


読者は私が書いたものを読みたいように読み解釈します。解釈が「いや、ちょっとちがうんだけど…」と思ってもどうしようもない。「それはそれで仕方ない」と割り切るしかないです。


自分が良いと思った記事を集めたニュースサイトを作りたかったのですけれど、私の場合、情報収集に時間をかけるよりも自分が文章を書く時間をかけるほうが楽しくかつ継続できる、そう思い、一ブロガーのまま現在に至ってます。


つまり
情報収集にかける時間<自分が書く時間


新しい情報が集まるところに人は集まります。だからニュースサイトがうらやましくてたまらないです。さまざまな人が発信したものを集め、またその集めたものに人が集まってくるのですから。


さまざまな人が発信したものの集合体 VS 一個人が発信したもの


勝敗は書くまでもないかと…。(まぁ勝ち負けでやってるわけじゃないんですけどw)

しかし、読んでくれる人についてこう考える人は多いだろうが、逆に、読まれる人に対して自分がどのように見えているかを考える人は少ない。これは日本人の特徴なのか、見られているってだけで嫌がる人も少なくなく、そういう人に限って相手をじろじろ見ようとする人だったりする。我々は見られ慣れていないのだ。
『読者が見える人、読者に見える人』より
http://maname.txt-nifty.com/blog/2012/03/mieruka.html

読まれる人に対して自分がどのように見えているか、これについて私はかなり意識しています。
イメージは大事。
先生として教壇に立つようになってますます見られることを意識するようになったというのもあります。
見られるのはそんなに嫌なことではないです。むしろ、授業の場合、こちらを見てもらわなければならない。学生をひきつけなければならない。お恥ずかしがってなどいられない。学生がなんだかんだ言ってもスルーしなればやっていられない。
学生は授業に関係ないこともいろいろ言ってきます。
「先生、先生は韓国人ですか?日本人じゃないですよね?」とか「先生、今日はピザが食べたいです。電話して学校に配達してもらいます」とか。


見られることに慣れると平気になってくるというのはあります。ブログもそうかもしれません。読まれることに慣れるとそれほど恥ずかしいと思わなくなってきます。むしろ読まれることは「うれしい」「快」となってます。


ゆえに、読まれなくなったときが怖いです。
ブログによってもちがうと思いますが、更新と比例してアクセスが伸びていくわけではないです。また読者の入れ替わりもあると思います。


読者が見えるというのは実は怖いです。
今見えている読者が見えなくなるのは、私は怖いです。


あんなにコメント書いてくれていた人がどうして書いてくれなくなったんだろうとか、あんなにリプライくれてた人がどうして自分をリムーブしちゃったんだろうとか、まぁ考えてしまいますね。どうして?って。


怖いとはいえ、それでも書くしかない、そう思います。
というか書かずにはいられない。
怖くても書かずにはいられないのが私。
しょうがないですね。そういう仕様なのです。