記憶に残る本、残らない本

今でも近隣市の図書館3市で本を借りていて、自分で買った本も含め手元にだいたい50冊はあることが多い。


本を読むとき、わたしは併読する。一冊読み始めたら最初から最後まで読み通すというのは小説だけだ。小説以外の本は、目次を読み、だいたいざっと読み、大事そうなところ、情報として役立ちそうなところを見つけて読む感じだ。つまみ食いではなく「つまみ読み」する。


本当に自分にとって有用な本であればその「つまみ読み」の部分は増える。つまみ読みが多い本は自分に入ってくるものも多いし、読んでよかった、これはまた読み返したい、そう思うものだ。


読書記録をつけているけれど、タイトルを見れば、だいたいどういう本だったか思い出せる。中にはタイトルを見ただけでは内容を思い出せない本もあるのだけれど、それは自分にとってあまり惹かれる本ではなかったのだと思う。「思い出せない=記憶に残らない」というのは、それほど重要ではないということ。逆に言えば、記憶に残っている本は自分にとって意味があり有用な本と言えるのではないかな、と。


自分にとって、どうでもいい本を読み続けるのは時間の無駄のように思う。仕事でどうしても読まなければいけないとか読んでどうしてもレポートを書かなければいけない、といった事情がない限り、読みたいと思った本を自由に読んだほうがいいと思う。本をどんな風に読むかは読み手の自由。最初から最後まで通して本を読まなければいけないといったルールに縛られる必要はないと思う。面白くないと思ったら、途中で読むのをやめるのも有り。世の中には一生かかっても読みきれない数の本が出回っている。自分に合うもっと良い本がどこかにあるはず。


記憶に残る本、残らない本がある。すべての本の内容を覚えていられるわけではなく、そのうち忘れてしまう。忘れない本、記憶に残る本こそ自分にとって意味があるのだと思う。この記憶に残るような本をどれだけ増やしていくかが読書の醍醐味であり、自分的にわくわくするところだったりする。