土地に縛られること、土地を守ること

生まれ育った土地を離れ都会で暮らしている人は意外と多いと思う。


親が元気なうちはたまに帰るくらいでよくて、「田舎に帰っても仕事もないし」と言うのが免罪符の役割を果たしていたり。


親が元気なうちはいい。両親とも元気なら。でもどちらかが倒れたり病気になって面倒をみる必要がでてきたとき、そのときどうするか、やはり考えてしまう。


これから先、両親ともにこの世を去ったあと、あの家や土地をどうしたらいいのだろう。親戚も周りに住んでいるし、先祖代々受け継がれ守られてきた土地ということもあって簡単に売ったりはできないだろう。


老後、そこに住むというのも有りかもしれない。家賃はかからないし、静かでのんびりできる。でも、でもと思う。何十年もそこから離れていた自分が戻ったとして、なにか楽しいことがあるだろうか。近所に仲の良い幼なじみがいるわけでもないし、地元の学校を卒業して何十年も顔を合わせていない同級生と今更話すことなどないだろうし、仮に話をしたとしても一、二時間もあれば話は尽きてしまうだろう。


生まれ育った土地だけれど、そこに戻ってまた暮らすイメージがどうしてもできない。地元に戻って何をすればいいのかわからない。


どうするかいつかは決めなくてはならない。いつか決断のときは来る。着々と残り時間は少なくなり、砂時計が止まることはない。砂が落ち切ったときにどういう決断をするか、正直言って今はまだわからない。


土地を守ること。それは大事なこと。
でもそれは自分がしなければいけないのだろうか。


今は親は何も言わない。今はまだ二人とも元気だから。


でもいつか砂はすべて落ちる。
住む人がいなくなった家や土地はどんどん荒れていく一方だと聞く。それでいいのだろうか。


家の管理、土地の管理、そして固定資産税のこど考えなければならない。詳しいことはわからないけれど、そこに住んでいなくても所有していれば、資産として税金を払わなければならないのではないか。(今はまだ親のもので親が税を払っているけれど)


親もやはり先のことは考えているだろう。いずれは戻ってくるとそう思っているだろうか。とりあえず今はまだこっちで仕事をしているので戻ってこいとは言わないけれど「死んだあとのことは知らん。好きにしなさい」とまでは思っていなさそうだ。


土地に縛られたくない。できるなら自分が住みたい場所に住み続けたい。そう思うけれど、それを言ってしまったら、二人の落胆の表情を見ることになりそうでこわい。


落ち始めた砂が止まることはない。残りの砂の量がわからないのがせめてもの救いなのかもしれない。