「持つ者の発言は持たざる者を容赦なく傷つける」「格差はモチベーションをずたずたにする」西尾維新『難民探偵』より

「持つ者の発言は持たざる者を容赦なく傷つける」
「格差はモチベーションをずたずたにする」


難民探偵 (100周年書き下ろし)

難民探偵 (100周年書き下ろし)

西尾維新『難民探偵』より

今読んでいる本なのですが、上記2文について思ったことをざっと書いてみます。


持つ者への憧れ。その憧れが強くなればなるほど、自分との差を思い知らされる今日この頃。重苦しいモヤモヤはまるで暗褐色のスライム。ねっとりと貼りつくぶよぶよの塊を、飲みこむことも吐き出すこともできずにいる。気道をじわじわと塞いでいくこの状態は私の思考を停止させる。どうしていいかわからない途方に暮れた状態と言ってもいいだろう。


モチベーションは一体どこへ?確かにあったはずなのに見当たらない。一度見失ってしまうと、なかなか復活しないのがモチベーションで、呪文を唱えれば復活するようなシステムではないのが悔やまれる。持たざる者がなんとか持つ者になろうとして必死になって、しかしながら現状がたいして変わっていないのは、モチベーションの有無以前に「能力」それ自体自分にないからだろうか。


「やればできる」そう言えるのは、やはり能力がある人だから言えることのように思う。人の能力は平等ではない。能力がある人は着実に結果を残していく。必死にやって1できることを、能力のある人は必死になることなく10できる。それを凄いと思う(これまで訓練して得たスキルや豊富な経験が蓄積されているのかもしれないが)


私は必死に一つ一つ地道に積み上げていく。うんざりするくらいの時間を必要とする。よくまあ途中で投げださないなあと自分でも思うのだけれど、投げ出すことをよしとしない妙に厳しい自分がいて、「とにかくノルマくらいはクリアしようよ」とお気に入りの曲でテンションを上げてから動く毎日だ。ノルマをクリアすればそれでいいわけではないのも、もちろんわかっている。


自分が持たざる者(能力を持たない者)であること、それは自覚している。持たない者は持たない者のやり方、戦い方でやっている。どんなに無様でみっともなかろうと、自分のやり方に固執するのだから愚かといえば愚かだ。だからいつまでたっても変われず結果を出せないであることにいいかげん気づいたほうがいい。


子どもの頃はさほど感じていなかった格差。それは見ている世界が狭かったから。世界にはもっと激しい格差があることを知って、意識するようになって、やっと自分の状況、立ち位置がわかる。わかったところで愕然とあるいは呆然とする私はいろいろと気づくのが遅すぎるようだ。あとから後悔することも多い。


落ちこむことも多いけれど、落ちこんだ状態をだらだらと引きずるのは好きではない。前の職場で打たれ強くなり、気分を変えるコツを覚えて、それは自分にプラスになっている。


自分の状況、立ち位置がわかってから、それからが勝負だと思う。スタート地点に立ったならば、あとはゴール(目標)を決めて動き始めるしかない。
どうやったらそこまでたどりつけるのか、「どうやったら・・・?」という方向へ思考をシフトする。


どうして自分は××なんだろう?
どうして○○できないんだろう?
と思うのではなく、
どうやったら××じゃなくなるのか、
どうやったら○○できるようになるのか。


格差があるのは現実。
持たざる者であるのも現実。
現実を受けとめて、それから始まる。
何もしなければ何も変わらない。
変わりたいのであれば、何かすること。


傷ついたままで終わるつもりはない。要はそういうことだ。


難民探偵 (100周年書き下ろし)

難民探偵 (100周年書き下ろし)