多少の現実逃避や現実整理のためのブログ

時間がないとブログは書けない。特に内容のあるものは。
仕事が忙しく、しかも目の前ことをやるので精一杯で、週末体調を崩して回復しきってないしで、頭も体も空中分解しそうだ。とにかく時間がない。


ある作家が人生を水泳に例えていたけれど、それが今よくわかる。
みんなそれぞれ泳いでる。近くで泳いでいる人はなんとなく様子がわかるものだ。その人はその人の泳ぎで泳ぎ続ける。溺れかかっていたら助けることはできるけれど、うまく助けられないかもしれない。ゴールという名の岸はまだ見えない。休めそうな場所もない。
1日くらい何もしなくていい日があったらよいなと思う。それこそずっとボーッとしていられる日。
ヒマは人をダメにする、と私の母が言っていたことを思いだすけれど、忙しすぎても疲れすぎてダメになると思う。人には回復する時間が必要だ。


1人1人にそれぞれの時間が与えられているのなら、それを有効に使ったほうがいい。「有効に」は「好きに」と言い換えてもいいかもしれない。
こうしてブログを書くのも書くのが好きだから書いているだけだ。ふと考えたこと今思っていることを書きとめておきたいだけた。


そう思っても書くために必要なのは「時間」で、その時間をどうにか捻出するためには努力が必要で、その努力がめんどくさくなったときブログの更新は止まるのだろう。


日々泳ぎ続ける中、考えたこと思ったことを何も残さずひたすら泳ぎ続けゴールにたどり着く、それも有りだけれど、なんとなくそれでは寂しい気もする。


今仕事で溺れかけているのにブログどころじゃないだろ?!と怒られそうだが、溺れかけているとは自分では思っていない。まだまだイケる。必死に犬かきしながらもブログを書く優雅さが自分的には好きだ。ブログを書くのは多少の現実逃避や現実整理のための意味合いもあるかもしれない。忙しいときに限って机の上の整理をしたくなる、あの感じに似ている。