ないものねだり

人は往々にして自分にないものを欲しがるところがあって、それは一般的に「ないものねだり」と言われるものだ。
自分が持っていないから欲しくなる、それは当然起こりうる気持ちで、この気持ちをうまくおさめる方法は、
・その欲しいものを手に入れる
・欲しいものではないけれど他のもので我慢するか自分を納得させる
・欲しいものそれ自体をすっぱり諦める
それくらいしか選択肢はないように思う。


「ないもの」をねだってもしょうがないよ、と思うけれど、それは歳をとって諦め上手になったからかもしれない。


欲がなくなったわけではないけれど、身の丈や自分の実力がわかるようになって、自分で自分に制限をかけているようで、つまらないといえばつまらない。自分で自分にブレーキをかけている、そんな自分を冷ややかに見ている「自分」がいて、この「自分」の存在は最近とても強くなってきている。


自分には二面性があると思う。楽観的で楽しいこと大好きな自分と悲観的でシリアスで慎重な自分。
どちらも自分だ。プライベートでは前者が、仕事中は後者が大きく幅をきかせる。とにかく仕事は真剣だ。もっと改善し完璧を目指したいと思う。苦労もするしストレスも半端ではないけれど、でもそれが楽しいのだ。やりがいがある。緊張感とストレスと、しかしながら仕事を終えた後の解放感とそれなりの満足感と、楽観的な自分に戻れるという、それらがあるから続けていられるのだと思う。


こういうことは他の人もそうだったりするのだろうか。あまり他の人に興味を持たなくなっていて、よくわからない。端的に言えば興味を持てなくなった、と言ってもいいかもしれない。まあ興味を持つこともあるのだけれど、深く踏みこむことはなくなってしまった。それはどうしてか。理由はだいたいわかっている。心を開いても相手も同じように開いてくれるわけではないということ。どんなに仲良くしていても離れていってしまうこともあるということ。いろいろなことを期待してしまうのは、それこそ「ないものねだり」で、空回りばかりして、心底疲れてしまった。


欲しがらなければ楽になれる気もする。欲張るせいでストレスが溜まることもあると思う。
では、現状維持でいいのか。それでは納得できない「自分」が私の中にいる。「もっと高みを目指せよ!」と楽な方へ逃げようとする私を睨みつけている「自分」が、今ここにいる。


もっと「ないものねだり」したら?
自分に対してもっと「ないものねだり」を。




昔は、もっとイキイキしていたよ?

「ないものねだり」をしない生き方

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