逃げ場所と居場所と

最近、ふと逃げだしたいと思うことがある。
面倒な仕事とか、自分の手に負えないと思ってしまったこととか、ビルの窓を全開にして、放り投げてしまいたくなる。


もっとも、そんな衝動は、いっときの、妄想のような空想のようなもので終わる。
逃げ出したり、放り投げたところで、結局のところ、何の解決にもならなくて、逃げだしたあとの「自分の居場所」それはどこになるんだろ、と考えてしまう自分が、今いる場所の再確認(今はそんなに最悪な状態なの?という自問自答)をはじめてしまう。


自分の居場所を見つけられたら、それはしあわせなことだと思う。もしかしたら、その自分の居場所探しが人生ですることなのかもしれないし、あるいは、もしかしたら、そんな居場所なんて固執しなくてもいいのかもしれない。


逃げることで失う居場所。いや、自分でそこは自分の居場所じゃないと思うのであれば、他を探せばいいし、一か所にとどまっていなければならないという決まりはない。自分にとって、無理がなくて、息をしやすい場所が、「居場所」になるのだと思うけれど、そこを「居るべき場所」とまで、はっきり規定したくはない。あくまでも、ゆるく、縛られない居場所が、私の居場所であってほしくて、縛られはじめたとき、いろいろな面倒やストレスがかかりはじめた時点で、逃げ出したくなる、つまり今の状態はそういうことなのだと思う。


さてさて、2019年の最初の更新がこんな話題になってしまって「どうなの?」という気もしないでもないけれど、とりあえず、書いたので載せておく。


ふと、「自分の居場所」=帰属 ってこともあるよね、とも思ったけれど、うまくまとまらなかったので、それについてはまた今度。