読んだ本『人生は苦である、でも死んではいけない』

読んだ本『人生は苦である、でも死んではいけない』(岸見一郎)

人生を過去・現在・未来という直線として見るのではなく、
「今ここ」を生きたい。
誰もが必ず死ぬとしても、死は人生の目的地ではないのだから。

そうするためには、一つには、過去を手放すことが必要だ。
忘れることができない、また、忘れてはいけない過去があっても、
生きるためにはあえて過去を手放さなければならない。
過去に戻って人生をやり直さなければ―実際、そのようなことはできない―
今後も生きづらいと思いながら生きるしかない。しかし、過去を手放せば、
いつからでも人生をやり直すことができる。
人生は苦である、でも死んではいけない (講談社現代新書)』より


本を読んで、
過去を手放し、ありのまま、今の自分でOK。
そんなことをつらつらと思ったのだけれど、
その過去を手放すのいうのが、本当に難しい。


私はよく「記憶」という言葉を使うのだけれど、
この「記憶」というのは、まぁ役に立つこともあるけれど、
「記憶」に苦しめられることも多い。
Deliteできない「記憶」が、つらさの根源であることが多い。

忘れることができない、また、忘れてはいけない過去があっても、
生きるためにはあえて過去を手放さなければならない。
人生は苦である、でも死んではいけない (講談社現代新書)』より

生きるためにあえて過去を手放す
生きるために忘れる。
生きるために忘れなければならない。
そう、忘れられるのであれば、忘れてしまいたい。
そう思っても、なかなか忘れらない「記憶」は、自分では解けない一種の「呪い」「呪縛」なのだと思う。

さらに、未来も手放さなればならない。
未来は「まだない」のではなく、ただ「ない」のである。
人生は筋書きが決まっている芝居やドラマではない。
存在しない未来を思って不安になっても仕方がない。


たとえ、これまでの人生がどれほどつらいものであっても、
これからの人生も同様につらいものになると決まっているわけではない。
もっとも楽になるとも決まってはいないが。
人生は苦もあれば楽もあるというよりは、苦なのだから。
それでも、生きる。
人生は苦である、でも死んではいけない (講談社現代新書)』より

『存在しない未来を思って不安になっても仕方がない。』とはいえ、
ある程度の想像力を持っている以上、不安にならないなんて、それはちょっと無理だ。少なくとも私は。


「まぁなんとかなる」と思いながらも、「なんとかならなかったらどうしよう」という自分もいて、最悪の事態を想像してしまう。
そして、その「最悪の事態にならないためにはどうしたらいいか」考えることで、やっと顔をあげていられる。
「最悪の事態を回避するためにできることがなにかあるはずだ」と、その「なにか」を考えるのは、存外楽しい。
考えること、それ自体が楽しくて、その考えたことを書くのが楽しい、好きということかもしれない。


自分の人生だから、自分が好きなことをしていいんだよ。
もっと気楽にしていい。
そう考えを転換(?)すると、
「記憶」の呪縛が少し弱まる気がする。
呪いが解けるほどではないけれど、とりあえず「記憶という呪い」による死から遠ざかれそうだ。


「記憶」をうまくDeliteできない(忘れられない)のであれば、
なんとかうまく折り合いをつけていくしかない。
そう、なんとか、なんとか。


この本の中に『働くこと自体が目的ではなく、幸福であるために働くのである』とあって、まさにそうだなと思ったわけで、
そのことについては、またあらためて書きたいかな。