同窓会と訃報

少し前、知人が同窓会の話をしていた。
今年は同窓会が行われる年だけれど、コロナ禍ということで延期になったそうだ。
知人の話によると、同窓会に行くと懐かしい昔話に花が咲くと同時に、同級生の訃報を聞いたりすることもあるらしい。
同級生の訃報……。
その言葉を聞いて、なんとも言えない気分になるのは、私だけではないだろう。


平均寿命はあくまで「平均」であって、皆が「平均」まで生きるわけではない。
年をとるにつれて、病死等で亡くなる人が増えていくのは、まぁ当然だ。知人は、同窓会に行って、「○○さん亡くなったんだってよ」と同級生の訃報を聞いたけれど、今更弔問に行くほど親しかったわけでもないし、「ああ、亡くなられたのね」くらいの感情しか表に出てこなかったと言っていた。ものすごくわかる。人はだれでもいつか死ぬ。それが早いか遅いか、それは誰にもわからない。


もっとも、わたしは大々的な同窓会に行ったことがない。これからも行くことはないだろう。同級生は過去のつながりで、今は、もうつながっていない(ただし、友人を除く)。またあらためてその同級生とつながろうとも思わない。今、同級生が何をしているとか、そういうことに興味もないし、私が今何をしているか興味本位で聞かれたり、探られたりするのもイヤだ。その場限りの笑顔や調子のいい会話は大嫌いだ。何十人も集まれば、マウントをとる人も出てくるだろう。同級生相手に勧誘的なことをしてくる人もいるかもしれない。


こんな風に同窓会に対していいイメージを持っていない。もうつながっていない同級生の訃報を聞きたくないし、その亡くなった人についてあれこれ推測し、噂する輪にも入りたくない。結局は「私たちも体には(あるいは事故には)じゅうぶん気をつけなくちゃね」で終わってしまいそうだ。故人を悼む心があるのなら、そんなに簡単に訃報を口にはできないのではないだろうか。