家事の時間・労力を減らしたい(料理編)

いろいろと参考になる本だった。
ここのところずっと仕事が忙しいのもあって、家事にかかる時間を短時間にするのが目下の目標だ。
以前使っていた食器洗い機が壊れてしまって、ずっと手洗いをしているのだけれど、また食器洗い機を買いなおしてもいいかなと思ったりしている。とはいえ、安いものではないので、ためらう部分もある。あとは、経験的に、食器洗い機というのは、数年(5年くらい)で修理が必要になるのを知っているので、それも購入をためらう理由のひとつ。修理代も安くはないし・・・(経験者は語る)。あとは、置き場所の問題もあって、そんなに大きいものは置けない。


新しい食器洗い機にはなかなか手が出せないでいるけれど、スロークッカーはとうとう買った。

タイマーつきではなかったので、別にタイマーも買った。
24時間プログラムタイマーII PT25

24時間プログラムタイマーII PT25



買ってから、思っていたよりも鍋が小さくて、他のスロークッカーにすればよかったかなと思ったり。

ツインバード スロークッカー ブラウン EP-4717BR

ツインバード スロークッカー ブラウン EP-4717BR


スロークッカーで作りたいのは、ポトフとかシチューとかカレーとか。


特にポトフは大好きなので、これからの季節何度でも作りたい。


今までは、シャトルシェフで作っていた。


これはこれでとても便利なのだけれど、いちどガスで沸騰させないといけないところがスロークッカーとちがうところだ。


スロークッカーなら、焼き芋も作れるらしい。近々作ってみたい。


なかなかヘルシオホットクックは手に届かないけれど、スロークッカーなら3000円くらいだし、もしうまく使いこなせなくても、まぁいいかなと思って買った。
とにかくキッチンのガス台につきっきりになりたくない、それが一番の購入理由で、切った材料や調味料を入れて、あとは電気で加熱してくれるのであれば、これほど楽なことはないと思う。できあがったころに、電源をおとせばいい(タイマーで切る)。


スロークッカーのごちそうレシピ

スロークッカーのごちそうレシピ

スロークッカーでつくるはじめてレシピ (生活実用シリーズ)

スロークッカーでつくるはじめてレシピ (生活実用シリーズ)


さてさて、どうなることか。これから「家事の時間、労力をどうやったら減らせるか」いろいろ試行錯誤してみようと思う。


勝間式 超ロジカル家事

勝間式 超ロジカル家事



曖昧なスライム

今日は9月の最終日。自分のブログ画面を開いて、2018年の8月は全然ブログを更新していなかったことに、気づいた。
8月は、とにかく暑かったというのと、忙しかったという曖昧なことしか記憶にない。私の脳内は「曖昧なスライム」だ。もう少し説明すると、私の脳内には曖昧なものが水分を失いかけたスライムのように詰まっている(比喩)。
そういえば、時間の感覚も曖昧だ。ついさっき、虫の音を耳にして、いつの間にか夏が終わって、秋になっていることに驚いた。そういえば、少し涼しくなっているようだ。温度の感覚も暑さにやられてしまったようだ。


普段、日記をつけていないので、過ぎた日々を思い出すのは本当に難しい。スケジュール帳にも最低限のことしかメモしないので、あとから見返してもよくわからないことが多い。


「よくわからない」ということが「気持ち悪い」「もやもやしてイヤだ」という感覚もわからないわけではないけれど、そもそも「なんでもわかる」というのは幻想で、ありえないんじゃないかというのが、最近の私が思っていることで、
komoko.hatenablog.com
ここでも似たようなことを書いているのだけれど、わからないことに耐える力、耐性というのは、生きていくうえで(少しおおげさかもしれないけれど)大事なことなのかもしれないなぁと。簡単に書いてしまっていいかわからないけれど、未来というのはどうなるかわからないもので、わからないながらも、とにかく今やれることをやっておけば、まぁどうにかなるんじゃないかと。もちろん、あれこれと迷い、悩むのだけれど、誰かに相談したりする性質(たち)ではないので、最終的には自分で決めてしまう。自分で自分を納得させるやり方が、私には合っているのだと思う。相談した人に「こうアドバイスされたから」と、アドバイスに従ったとして、うまくいかなかったときに、アドバイスした人のせいにしてしまいそうで、それがイヤだったりする。「自分のことは自分で決めたい」とまぁそういうことなのだと思う。


今日は今読んでいる本の紹介をしようと思っていたのだけれど、書き始めたら、そういう気分が消えてしまった。日をあらためて本の紹介をすることにする。


明日から10月。もう少し日々を丁寧に、一行でも二行でもいいから、日記的なものを書き残すようにしたい。たった一ヶ月前のことが何も思い出せないのは悲しいというか、そうだね、悲しいというより、むなしい。その一言に尽きる気がする。「日記的なものでブログを再開するのもいいかもしれない」と思ったところで、はてさて、有言実行となるかどうかは、曖昧なスライムの元気次第でしょうか。



わたしの好きな料理マンガ

やっと新刊でました。

わたしが好きな料理マンガといえば、これ。


最近は本もKindleで買うことが多くなったのもあって、マンガもKindleで買おうと思いましたが、どうやら、Kindle化されるのはずっとずっと後のようで、とてもじゃないけれどそんな先まで待ちきれない私は紙の本を従来どおりに買うことに。


この「きのう何食べた?」に出てくるキャラクターは、わりとちまたによくいそうで、描かれている人それぞれがそれぞれのキャラで立ち回っていて、だから物語は面白いんだな、と。作者の人を見る観察眼というのは、ものすごく鋭くて、敏感で、キャラクターごとに価値観とか言動の傾向とかキチっと決められてて、ブレないところが好きだな、と。


ちなみに私が好きなキャラはケンジ。私自身筧さん的なところが散見されるので、ケンジみたいなキャラに息抜きさせてもらうというか、ホッとさせられるというか、とにかくケンジがお気に入り。で、苦手なのはジルベール。小悪魔的でキャラとしては面白いけれど、実際近くにいたら、ふりまわされそうで、ノーサンキューだ。ジルベールとは、そそそっと距離を取らせてもらう。


ネタばれになるので、あれこれ書けないけれど、少しずつ作中の時間は進み、物語も進んでいる。キャラの性格や言動も、もしかしたら少しずつ変わっていくのかもだけど、できれば不自然な変化だけはしないでほしい。


料理マンガなので、作中の料理を参考に実際に料理を作ることもある。マンガを読んでいるうちに作ってみたくなるから不思議だ。


まだまだ続いてほしいと思うマンガのひとつだ。



読んだ本「日本で1日に起きていることを調べてみた」ー1日に、全国のコンビニで廃棄される食品は、約100万食。日本のどこかで孤独死する人 約88人。

最近読んだ本。

日本で1日に起きていることを調べてみた: 数字が明かす現代日本

日本で1日に起きていることを調べてみた: 数字が明かす現代日本

この本によると、1日に、日本とその周辺で発生する地震は12.2回らしい。つまり日本のどこかで、ほぼ毎日、地震(震度1程度の地震を含む)は発生しているとのこと。日本は本当に地震が多くて、大きい地震もたびたび起きているし、いつどこで地震に遭遇するかわからなくて、だからこそ、「もしも」のときの対策や準備は日ごろからしておくべきなんだと思う。


また、この本によると、1日に、全国のコンビニで廃棄される食品は、約100万食もあるらしい。

2014年の環境省の調査では、コンビニ1店舗1日あたりの売れ残り食品の廃棄量は約9Kg、全国約5万2000店を合計すると約470t、これはFAO(国連食糧農業機関)が定める途上国への食糧支援の基準では、ほぼ100万人の食糧に相当する。

途上国への食糧支援の基準で約100万人分の食糧が毎日廃棄されている。この量は驚きだった。
ただ、廃棄された食品(事業系廃棄物)は78.1%はリサイクルされて、21.9%が焼却・埋め立てられるとのこと。リサイクルの内訳の70%は飼料化、18.5%は肥料化らしい。


家庭から廃棄される食品も相当な量で、食べ切れなくて捨ててしまうケースは本当に多いと思う。
食べきれる量を買う。冷蔵庫で腐らせたり、買ったもののその存在を忘れてしまって、思い出したときには賞味期限、消費期限が過ぎていて捨ててしまうようなことがないようにしたい。賞味期限のほうは、多少過ぎていても大丈夫らしいと、どこかで聞いて、まぁ一応確かめてから食べるようにしている。


そして驚いたのは、この本の中にあった

1日に、日本のどこかで孤独死する人 約88人

日本のどこかで1日に約88人の人が孤独死しているらしいことに驚く(年間では推計3万2000件)。まぁ、一人暮らしの高齢者の場合、なかなか遺体が発見されないというのは、仕方がないことなのかもしれない。死因は病死が多いらしいのだけれど、発生件数が多い地域は、東京と東京以外の関東(首都圏)で約60%で、生前の周囲の人たちとのコンタクトが希薄であったことが、発見の遅れにつながっていると推察されるとのこと。


ちなみに、この本によると、1日あたり亡くなる人は、3541人らしい。(生まれる赤ちゃんは1日あたり2680人)


1日あたりの数字を目の当たりにすると、妙にリアリティというか、現実的に感じられて、いろいろと考えてしまう。


1日に、全国で倒産する企業は 22.9社 だとか、
1日に、日本で出版される本(新刊)は205点だとか、
日本の女子高生が1日にスマホを使う時間は 6時間6分 だとか、
トヨタ自動車の1日の売上高が776億円、イオンが223億円、アマゾンが30億円だとか、
そういう数字も載っていて、なかなか面白い。

日本で1日に起きていることを調べてみた: 数字が明かす現代日本

日本で1日に起きていることを調べてみた: 数字が明かす現代日本


鞄に本。

鞄に本。かばんに本。


鞄と漢字で表記したほうが、なんとなくかっこいいと思うのは私だけだろうか。


もちろん電子書籍でもいいのだけれど、なんとなく、紙の本を一冊は鞄に入れておくようにしている。


通勤の電車の中で読めるだけ、読む。
時には、到着駅に着いたのに気づいて、あわてて降りたり、まだ降りる駅に着かなければいいのに、と思ったり。


本があれば、長時間の移動も苦にならない。むしろ、本が読めるのでうれしいくらいだ。電車では立っていても読むし、もし座れたら、それはラッキーで、通勤時間は絶好の読書タイムになる。


本を読んでいると、まぁ私の読書傾向にもよるのかもしれないけれど、書いている人は「ひとりが好き」だったり、とても自由人だったり、サバサバしていたりで、おそらく私自身そうなりたいから、そういう人が書くものをついつい読んでしまうのだと思う。


読んでいて、「ああ、わかるなぁ」という共感は、本を読んだからこそ感じるもので、自分が日ごろ感じていたことを言語化したような文章に出会うと、「そうそう」「それは私も思ってた」と、うれしくなったり、何かに書き留めたり、付箋をつけたりするのだけれど、付箋だらけになった本は、何度も読み返すし、おそらくそれは愛読書と言われるものになるのだと思う。


読書なんて、それぞれ好きなように読めばいいと思う。
まぁ、読書に限らず、人生も好きなように、できることをやっていけばいい。やっていけば、そのうちなんとかなるんじゃないかな、と自分に言い聞かせたり。


ブログにネガティブなことは、なるだけ書きたくないけれど、どうしても影みたいなのが文から見え隠れして、自分でもなんだかなぁと思うのだけれど、変に明るく装うのもイヤだし、かといって、あけっぴろげにオープンにできないのも、私らしいといえば私らしいか。しばらく、いろいろな本を読んで、なにか書きたくなったら、書くことにしよう。


最近読んだのは、

ひとりが好きなあなたへ (幻冬舎文庫 き 3-13)

ひとりが好きなあなたへ (幻冬舎文庫 き 3-13)

ひとりが好きなあなたへ

ひとりが好きなあなたへ


あとは、この詩集も好きで手元にあります。

詩集 すみわたる夜空のような (角川文庫)

詩集 すみわたる夜空のような (角川文庫)



「答えが出ない事態に耐える力」

白黒つけたくても、なかなかつけられない問題というのは、まあ何十年も生きていると出てくるものだ。
すっきりしないまま、なんとなく日々が過ぎていくのを、「これでいいのかなぁ」と思いつつも、「まぁとりあえず、いまのところいいんじゃないか」と漂うに任せているのが最近の私だ。


漂うというのは、少し不安でもある。不安でもあるけれど、もう10代20代のときのように両手両足をフルに使って泳ぐような体力は、もうない。


ネガティブなことも、そのうち受け入れてしまうというか、「まぁそんなこともあるよね」と、妙に達観してしまっていて、自分でも怖い。例えば、仕事でダメ出しされたり、仕事を減らされたり、そのときは凹むけれど、そう長くは凹まない。「まぁそんなこともあるよね」と。


ネガティブなできごとを、あとから何度も思い出し、反芻するのは、自分で自分の首をしめ、自分で精神的につらくさせているのと同じことだと、最近また思うようになった。思い出さないようにする、反芻しないようにするというのは、なかなか難しいことなのだけれど、つらい感情にひたること、怒りの感情を再沸させることは、最終的には自分自身の破壊、周囲の破壊、周囲との断絶につながりかねず、とはいえ、感情的にならないというのは、修行が必要というか、そう一日や二日ではできないものだな、と思ったり。


ネガティブなできごとによる感情のアップダウンは、まぁ仕方がないといえば仕方がないので、できるだけ、自分の中でおさめるというか、できるだけ凪の状態に持っていこうと最近はしている。激しい感情と吐露を避けるというか。


変えられないものは変えられないし、変わってほしくなくても変わってしまうものもある。曖昧でもやもやとしたものを抱えているのは、気持ちがよい状態ではないけれど、でもその状態に耐えられる自分でいたいというのがあって、そんなことを考えながら、

この本を読んでいる。


「答えが出ない事態に耐える力」
これが今まさに私がほしいと思っている力なのかもしれない。



生きづらさについて考えてみた。

生きづらいなぁと思うことがある。
なぜだか、よくわからないのだけれど、生きづらいと感じてしまう。
今日は生きづらさについて、答えは出ないかもしれないけれど、少し書いてみる。


ブレない自分でいようとすると、ガンコだと言われる。一匹狼的な気質が自分にあるのは薄々気づいていたのだけれど、最近、会社組織のもろもろの制約や暗黙の了解(慣例)が息苦しくて、仕方がない。もっと自由に自分の裁量(責任)でやりたいのに、しようとすると釘を刺される。今日も出る杭(くい)は打たれる的なことがあった。まぁそれも慣れっこなので、軽く受け流した。波風を立てたくなくて、素直に従う部分もある。一歩引くというか。相手の言うことにも一理あると思うから、真っ向からぶつかるようなことは、できればしたくない。相手には相手の考え方があり、やり方がある。それを否定すると、対立が生まれて、だいたいにおいてうまくいかなくなる。


それでも、あまりに引きすぎると、相手のやりたい放題、いいように使われることもしばしばで、それはもちろん面白くない。面白くなくて我慢していると、ストレスが溜まる。溜まっているストレスの自覚はあるのだけれど、なかなかそれを解消することができなくて、それが生きづらさにつながっているのかな、と思ったり。心身ともに疲れて、回復する間もなくて、それでつらいのかな、と。


生きづらいと思ってしまえば、それが呪いのように自分を縛ってしまうのだと思う。
もっとテキトーにおもしろおかしく生きることも、できるはずなのに、なかなかハジケルことができない。ハジケタところで、刹那的な、その場限りの楽しさなんだよ、ずっとは続かない、結局元に戻るだけなんだ、などと思ってしまう。


それでも、その場限りの楽しさだとしても、笑いや楽しみや息抜きは必要だと思うし、生きづらいと感じている自分を何かで救うような慰めるような、そういうものは人それぞれ何かあったほうがよいのだと思う。


ここまで考えてきたけれど、実際のところ、生きづらさの正体は、よくわからない。
わからないけれど、「なにかしら生きづらいもの」がいつも付きまとって、うまく息ができないでいる。常に肩や首をがっちり固められているような感覚が長いこと続いていて、どうしたら楽になれるのか、途方に暮れることもしばしばだ。



一方で、その生きづらさというものに、面と向かい合わないほうがいいのではないか、という気もしている。


生きづらさを意識すればするほど、生きづらくなる、それはあると思う。


繰り返しになるけれど、自分で自分を呪縛して、自分で自分を苦しめている・・・・・・、ということは、逆に言えば、呪縛を解くのも、自分自身で解くしかないということになるのではないか、と。


そして、考えてしまう。どうすれば、呪縛を解くことができるだろう。笑いや楽しみや息抜きで、この生きづらいという呪いは解けるのだろうか、と。


鈍感な世界に生きる 敏感な人たち

鈍感な世界に生きる 敏感な人たち

「敏感すぎる自分」を好きになれる本

「敏感すぎる自分」を好きになれる本

「コミュニケーション能力がない」と悩むまえに――生きづらさを考える (岩波ブックレット)

「コミュニケーション能力がない」と悩むまえに――生きづらさを考える (岩波ブックレット)

生きづらさからの脱却: アドラーに学ぶ (筑摩選書)

生きづらさからの脱却: アドラーに学ぶ (筑摩選書)