フリーレンを読んで、考えたこと(その5)

その5になってしまった。「まだ書くことがあるの?」というより、
komoko.hatenablog.com
その4で告知していたフリーレンの2巻の名言の続きだったりする。


例によってネタバレありなので、ネタバレを踏みたくない人はそっ閉じ推奨。


2巻は名言、心に刺さる言葉が多い。


フリーレンはヒンメルと旅をしていた当時に

ヒンメルってよく像を作ってもらっているよね。
葬送のフリーレン(2) (少年サンデーコミックス)より

ということを言っている。


その理由を
ヒンメルは

皆に覚えていて欲しいと思ってね。
葬送のフリーレン(2) (少年サンデーコミックス)より

と言ったりしているが、

一番の理由は、
君が未来で一人ぼっちにならないようにするためかな。
葬送のフリーレン(2) (少年サンデーコミックス)より


もうこれは愛でしょう。ヒンメルはフリーレンを愛してたと思う。

おとぎ話じゃない。
僕達は確かに実在したんだ。
葬送のフリーレン(2) (少年サンデーコミックス)より

これもヒンメルの台詞だ。


人間はエルフのように長く生きることができないから、どうしたってエルフのフリーレンが一人になってしまう。現時点の既刊12巻までは、アイゼンが存命だけれど、それでもいつかはヒンメルたち旅した仲間よりは長く長く生きることになってしまう。


フリーレンが自分の死後も長く生きることになるのを見越して、像をあちこちに作って立てて、それを見ればフリーレンは彼や彼らを思い出すわけで、いやはやさすがだなぁと。


現代で言えば、写真などを見れば、故人を思い出すことができる。
思い出すものとしての写真よりも像の方が大きさ的に大きい、かつ像の方が残りやすいので、かつて実在していたものの象徴としての効力は抜群だろう。


その象徴的なもの(ここでは像)を通して、勇者の伝説の伝承にもつながるであろうし、本当にナイスチョイスだ。


とはいえ、その像も忘れ去られて、ボロボロになってしまっていたら、まぁ哀しいと言えば哀しいけれど、それはそれで時の流れ。しかたない。ボロボロになるのを防ぐには、フリーレンが生きているうちに、あちこちの像を巡回してきれいにしてもらうとか、土地の人がきれいにするように布石を打っておくとかだろうか。


で、実際フリーレンはヒンメルやハイターの死後、仲間(フェルン、シュタルク)と旅しているわけで、なんだかんだありつつも仲間がいるのはよいな、と。頼り頼られ。フリーレン自身千年以上生きているらしいけれど、そうは見えない。そもそもエルフというのは成長が遅いのだと思う。長命種なので、そんなに急いで成長しなくてよいのだ。


種がちがうと生きていられる時間の長さも違う。どちらかがその死を見送らなければならない。フリーレンのタイトルにある葬送にはそういう意味もこめられているのだと思うけれど(魔族を葬送する、葬り去るという意味も)、フリーレン自身は葬送、死を見送るということに慣れてしまっているのかもしれない。人間は短命。先に死んでしまう。ゆえに、フリーレンはひとりで飄々と気ままに生きてきたわけで。


でも弟子をとったり、フリーレンが変わっていくのは、やはりあの魔王を倒す十年の旅があったから、ヒンメルたちとの出会いがあったから。出会いは新たな出会いを呼び、そうしてつながっていくことでフリーレンは完全にひとりきりになることはない。ということは、ヒンメルもそれをよかったと思うことだろう。


12巻で80年前に飛ばされたフリーレンはヒンメルに言われている。

君はぼくたちとそうしたように、
皆で笑い合えるようなくだらない旅を続けているんだね。
葬送のフリーレン(12) (少年サンデーコミックス)より

と。


ヒンメルは安心したのではないだろうか。自分の死後もフリーレンには仲間がいて、一人ぼっちではないと。皆で笑い合えるようなくだらない旅を続けているんだと。


結局のところ、自分の死が回避不可能なものだとして、残された人は死の直後は泣き、悲しむかもしれないけれど、その後は平穏や日常を取り戻してほしいとわたし的には思うのだけれど、どうだろうか。


長くなってしまったので、このへんで。
ストックがあったら、また予約更新します。(予約更新はPM9時の予定)