読書の時間について考える

大きな仕事の締切がひとつ終わり、絶賛積読乱読中。
3月はまだ一度もブログを更新していなかったことに気づき、これはいかんな、と。
月に8回くらいは更新したいものだ(希望)。


本を読みながら思ったのは、読書の時間のこと。
積読をどんどん読んでいくうち、どうしても面白くないもの、いまいちなものと出会ってしまう。
それをしぶしぶ読み続けるというのは、私の選択肢にはない。


残念だけれど、ぱたんと本を閉じる。電子書籍もしかり。


読書は面白い。
しかしながら読書にかけられる時間は限られている。


またすぐに締切に追われるようになる。
それまでのつかの間の時間をどう有効に使うか。


本を書いた人には申し訳ない気もするけれど、自分の感覚で面白くないと思ったら、読むのをやめる。
一度読むのをやめたら、再びその本を読むことはおそらくないだろう。よほどの理由がない限り。


思うに、ひきつけられて、あっという間に読んでしまう本というのは、自分に合っているのだと思う。
逆に、途中で読むのが止まってしまう本というのは、合わなかったということだ。


合わないものは合わない。
我慢するという選択肢もあるけれど、自分の時間は有限で、コンテンツは他にいくらでもある。それこそ人間の一生では読み切れないほど。


このブログのどこかで万人受けするブログはない、ということを書いた気がするけれど、本も同様だと思う。
万人受けする本はない。


丁寧に深く読みこんでいないから面白さがわからないのでは?


それも考える。
しかしながら、丁寧に深く読みこみたくなるような本というのは、感覚でわかる。
「これはずっと手元に置いて、くり返し読みたい本だ」というのは読んでいるうちにわかってしまう。



最近は想像力を広げるという意味で幅広いジャンルのものを読むようにしているが、私にとって読書というは繰り返し読みたい本、心の琴線に触れるような本を探す旅のようなものだと思う。


繰り返しになるけれど、その旅にかけられる時間は限られる。
旅の時間は満喫したい。
つまらないと思ったら切り捨てる。


切り捨てられると言う言葉は、残酷かもしれないけれど、切り捨てるのは「合わなかった」からであって、「良い」とか「悪い」とかそういうことではない。


読書は旅で、そして自由だ。
どんな読書をしてもいい。
考えながら読む読書もよい。
考えさせられるような本に出会いたい。


長くなってしまったので、このへんで。
ストックがあったら、また予約更新します。(予約更新はPM9時の予定)