面白いと思う文章を書きたいということ

今日も引き続き文章について考えたことを書いてみたい。
仕事は山積みなのだが、どこから手をつけてもすぐには終わりそうにない夏休みの宿題のように多種大量なので、せめてブログを書くことで脳内を整理したい。仕事から逃げてる(逃避している)と言えないこともないが、春の嵐疲労困憊の身、息抜きも必要だ。あるいは……試験勉強をしなければならないのに、机の上や周りを片づけたり掃除を始めてしまうことにも似ている。
komoko.hatenablog.com
上の記事を書いて、読み直して思ったのは、「そうか、私は面白いと思ってもらえる文章を書きたいのだな」ということ。


面白いというのは、主観的なものだ。
私が面白いと思うものが、他の人も面白いと思うかどうか、それはわからない。


「万人に受けるブログはない」というのは、耳にタコができるくらい、窓ガラスに指紋が残るくらい書いてきたことだ。
万人に受けなくても、まぁまぁの人が面白いというものは、「有り」か「無し」かといえば、「有り」だろう。
その「有り」を求めて彷徨う旅人になるのも、やぶさかではない。


しかしながら、その面白いという主観的なもの、ごく個人的な、感覚的なものが私と他の大多数の人とでは解離しているように思えてならない。私の感覚が大多数の人と違う、かけ離れているとは思いたくないのだけれど、どちらかといえば、私の感覚は異質というか、まぁちょっと特殊というか、変わっているというか、ズレているというか……まぁ、その自覚はある。


このズレとか異質性を武器にして面白おかしくしてもいいのだけれど、それが次第に色物キャラ化して…...うーん、それは本意ではないなと思ったり。


まぁ、面白い文章が書きたいという欲が出てきたというのは、よいことなのかもしれない。
少し前まで、水だけ飲んで光合成して、ひたすらボーっとしていたい、木々の葉が風に揺れる音だけを聞いていたい、もうひと言も話したくない、と思っていたのだから、ちょっとは人間に戻ってきているということだろう。


自分が面白いと思う面白さと、他者が面白いと思う面白さは違う。
どうせ違うのなら、自分が面白いと思うものを追求したほうがいい。
他の人の目や評価を気にし始めたら、キリがないし、何もできなくなったりするし、なんというか、やってみたいのならやってみたらいいと思う。やってみて、0を1にしてみて、それからまた考える。


試行錯誤は日常茶飯事で、仕事でもやっていることだ。はじめからうまくいくことなんか滅多にない。
もっと気楽になんでもやってみていいんだと思う。


面白い文章、まぁまぁの人に面白いと思われる文章がまぁ書けたらいいな、くらいで始めてみようと思う。


森先生の本を思い出した。もう一度読み返そうかな。

長くなってしまったので、このへんで。
ストックがあったら、また予約更新します。(予約更新はPM9時の予定)