褒められるということ

大人になると、そうそう面と向かって褒められることは少ないように思う。
今必要に迫られてオンラインで英語を勉強しているのだけれど、
ある英語の先生はものすごく褒めてくれる(勿論英語で)。


例えば「r」と「l」の発音がうまくできなくて、
何度も言い直しをさせられて、
でもそのうち1回くらいうまく発音できたとき、
その英語の先生は大げさに褒めてくれる。


ああ、こう発音すればいいのか!
その感覚がわかったとき、
ちょっとステップアップした気持ちになる。


スピードが速くて聞き取れなかったものが聞き取れるようになったり、
ちょっとは英語らしい発音ができるようになったり、
ひとつひとつ積み重ねていくのが楽しくて仕方がない。


少しずつできるようになっていく。
それを誰か(例えば先生)が見て(聞いて)褒めてくれる。
承認欲求を満たされた状態の心地よさはこういうところにあるのかもしれない。


ものすごいことをやり遂げて認めてもらおうとすると、それはもう大変な作業になる。
別にものすごいことじゃなくても、
以前はできなかったことができるようになった、それだけでも十分褒めるに足ることだと思う。


褒められるのは嬉しい。
もっと褒められたいと思うと同時に私も誰かを褒めたいと思う。勿論自分で自分を褒めるのも良きと思う。


今日も一日なんとか生きた。
それは褒められることだと思う。


2月はブログを更新できなかったけど、
3月は更新できた!よし!←褒めポイント


といっても、もう3月31日だったりするのだけれど。



どうして見えるものに惑わされてしまうのだろうか。

どうして見えるものに惑わされてしまうのだろうか。
『光が死んだ夏』を読んで思ったことをつらつら書いてみる。

以下、ネタバレも含まれているので、その点ご了承のうえ、読んでください。

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どうやってブログを書くハードルを下げるか。

2023年が始まって、もう1週間が過ぎてしまった。(あ、今日は8日だ)
今年の抱負は
komoko.hatenablog.com
ここに書いたけれど、
抱負なんてすぐに忘れてしまうベランダに干した綺麗な空き瓶みたいなものかもしれない。


さて、本題。というか、抱負と関連はあるのだけれど、
めっきりブログを書かなくなってしまったせいで、
ブログを書くハードルが上がってしまっている。

  1. 書きたいことがあっても、それを文章にするまで時間がかかる。(普段文章を書かなさすぎのせいか⁈)
  2. 書き始めたとしても、書き終わるまでものすごく時間がかかる。(私はこんなに書くのが遅かったか⁈)
  3. 書いたとしても読み返すとしっくりこなくて、そのまま下書きというタンスに寝かせてしまう。

3については、下書きの本数だけなら実は結構ある(数えたくない)。
納得しないとアップできないという私の悪いクセのせいもあるし、下書きに入れたまま忘れてしまうということも非常に多い。(忘れるのは得意だ)



結論としては、
どうやってブログを書くハードルを下げるか、ということを考えたほうがいいということなのだけれど、
1.自宅のPCがついているあいだは、自分のブログの編集画面を常に開けておく。
2.書きたいことが浮かんだら、編集画面にメモして残しておく。
3.時間があるとき、途中まででもいいから書いておく(メモを文章にして、下書きに入れておく)。
4.下書きに入れたものは書きあげて「1週間以内にアップする」というルールを設ける。←New!
5.納得しないとアップしないというこだわりをやめる←New!
6.今年アップできた数を可視化する。(モチベになる?)
というようなことを考えてみた。


上記の4が自分でもボトルネックになるだろうなというのは、今の時点でわかっているのだけれど、
ルールなり縛りなりを設けないと、多分ずるずると下書きだけが増えていく(現状がそう)。


現状を変えるには、同じやり方ではダメだ。やり方を変えないと。
新たにルールを作って、とりあえずそれを守ってやっていく方法で。
うまくいかなかったら、またその時考えよう。


変えたい、変わりたいと思ったら、まずは自分を変えることだと思う。
でも、その自分を変えるのがいちばん難しかったりする。
難しいけれど、やってやれないことはないんじゃないかと思う自分がいるうちはまだ大丈夫かなと思ったりしている。


長くなってしまったのでこのへんで。
下書きタンスに入れずにアップしよう。



2023年の抱負みたいなもの

2023年が始まってしまった。
2023年の抱負みたいなものを書いてみる。

  • 無理をしない

2022年体調を崩しまくったので、2023年は体調を崩さないようにしたい。
それには無理をしないというのが一番かと。
まぁ既に元日早々体調がよくないのだけれど、病院に行くほどではないので、休みの間のんびりしておけば大丈夫なのではないかと。


年末年始の休みというのは、ある意味危険だ。気が抜けて、ガクっと膝をついてしまうようなことが本当に多い(私だけ?)。
日頃無理をしていても、そのことに目をそらしている自分がいる。それがよくない。
いい加減無理がきく体ではないことを肝に銘じるべきかと。

  • 自分のケアをする

これは一番最初に書いた「無理をしない」というのをつながっているのだけれど、
どうにも自分のケアをおろそかにする傾向がある。
睡眠時間が短かったり、食事を食べなかったり、食べてもたいしたものを食べていなかったり(パン1つとか)、水分もろくに摂らなかったり、忙しいとかストレスうんぬんもあるけれど、なにより自分で自分の首を絞めていると言ってもいいような毎日を送っていて、そりゃまぁ体調も悪くなるわけで。自分のケアをおろそかにしないようにしようと思う。

  • たくさんマンガを読む

気分がよくなる、わくわくする、シアワセな気分になれるマンガをたくさん読もうと思う。
2022年もかなりマンガを読んだけれど、2023年も同様に読むつもりだ。

  • たくさん文章を書く

昨日、3か月ぶりくらいにブログ用の文章を書いてみて驚いた。
文章が書けなくなっている。
書けるは書けるけれど、なんというか、めったに履かない靴を履いているみたいで、普通に歩けないし、利き手じゃない手で絵を描いているそんな気分になってしまった。
元々、文章を書くのに時間がかかるタイプではなかったのに、昨日は言葉がスムーズに出てこなくて、ポンプタイプのシャンプー容器を何度も押している気分になった。
これは文章を書かなくなってしまったせいだと思う。
2023年はたくさん文章を書いて、書くカンを取り戻したい。
まぁこれも「無理をしない」程度という条件付きになるけれど。


しばらくはリハビリ的に文章を書いていくことになると思う。(ブログにアップするかどうかは、まぁ文章の出来次第か)


というわけで「2023年は2022年よりブログを更新できるといいな」という控えめな抱負みたいなものも書いておこうかな。



つらかった2022年をどうやって乗り越えたか。

気づくと今日で2022年が終わる!
今日が12月31日だなんて信じられない。
しかも前回の更新が9月18日で、3か月以上更新できていなかっただなんて、それも信じられない。
で、2022年12月31日くらい更新してもいいんじゃないかと、ブログの書き方を思い出そうとPCに向かったわけで…。


うーん。
ブログの書き方を忘れてる!
2022年何してたか、ふり返ろうと思ったのだけれど、
思い出そうとしても、仕事、つらかった仕事のことしか思い出せない。
今年は本当につらいことが多すぎた。
経験値は多少増えたかもしれない。
でも、ストレスもものすごくて、心身(身も心も)ボロボロになるし、疲労困憊の毎日だった。


そんなつらかった2022年をどうやって乗り越えたか、乗り越えることができたのかというと、
寝る前にマンガを読み続けたからだと思う。


仕事もめちゃくちゃしたけれど、マンガもものすごく読んだ。
電子書籍という力強い味方!
本屋に行けなくても、DLして読みたいときに読める!
今年はマンガに救われた!


今年読んだマンガは多すぎて(ほぼ毎晩読んでいたので)全部あげるのは無理だけれど、
読んだもので有名どころをいくつか挙げると、

かなりハマって読んだ。アニメも見た。も買って読んだ。
読んでいくうちに好きなキャラが変わって、自分でも面白いと思った。
好きなキャラ(推し)が途中で変わるというのは、私にしては珍しいことだ。
これについての考察をいつか書いてみたい(気がする)。


これもハマった。いやはや面白い。アニメももちろん見た。アーニャかわいいよ、アーニャ。


これは、まさかハマるとは思わなかったマンガだ。
アニメの第1話を見て、それから原作のマンガを読み始めたクチなのだけれど、
なんというか、日常を忘れられる。それがいいのかもしれない。


これは引き続き読み続けているマンガだけれど、上記チェーンソーマンと違って、日常が介在していて、
読んでいて時折つらくなる。どの人もいい人すぎて、つらい。でもまぁ読むけど。


つらいことばかりの焦点を当てると、つらくなるばかりなので、
目をそらすことも大事なのだと思う。
私の場合、その「目をそらす手段」がマンガだったりする。
現実逃避的に読んだ今年1年だったけれど、救われた面のほうが強い。


まだ続きが読みたい。最終回を読み終えるまで死ねないと思う作品に出会えるというのは、ある意味すごいことではないだろうか。
上記のマンガのほかにも最終回を読み終えるまで死ねないと思う作品がいくつもあって、そういう作品に出会えたのはシアワセなことだと思う。


つらかった2022年がもうすぐ終わる。
終わって、新しい年が始まる。
また新しいマンガに出会いたい。いろいろな作品を読んでみたい。


では、よいお年を。


準備(土壌)ができていなかったら、芽は出ないということ。

ある程度経験を積んでくると、仕事を任されるし、専門性をアピールできる機会も増えて、それはとても仕事がしやすくなってよいことだと思った。


苦手なこと(したことがないこと)を押し付けられたり、ということも過去にはあった。
まぁ当時は「経験になるから」と思って引き受けていたけれど、確かに経験にはなっても、心身共に過労、ストレスでボロボロになったので、もう苦手なこと(したことがないこと)は引き受けまいと決めている。


過労やストレスでボロボロの状態でちゃんとした仕事はできない。
実のところ、ボロボロの状態では、自分の状態すらわかっていないことが多い。
あとから、あの頃の自分は酷(ひど)かった!と思い出してゾッとしたり。



最近は、「こういうことができる。こういうことは得意」というものを普段からさりげなくアピールしておいたほうがよいと思っている。
露骨にアピールするのは、まぁ日本人の感覚的に敬遠されたりするので、加減が必要なのだけれど、「そういえば、こういうことができるって言ってたよね」ということで仕事を任されたりするので、それはうれしいことだ。


仕事を任されて、そして、自分の裁量で仕事ができるようになったのもよかった。
この自分の裁量で仕事ができるというのは、本当に楽だ。
もちろん、最初から自分の裁量で仕事ができていたわけではない。
少しずつ実績を残して、そして、やっと一人で仕事を任されるようになる。

思えば、長い道のりだったなぁと。



そして、いま思うのは、「種をまかなかったら、芽は出ない」と言うのは聞いたことがあるけれど、
そもそも準備(土壌)ができていなかったら、種をまいても、芽が出ないのだなぁということ。


どんなに水をやっても、そもそもの準備(土壌)ができていなかったら、種は種のままだ。
少しは芽を出すかもしれないけれど、上に伸びることなく、枯れてしまう。


準備には時間がかかる。準備には内的なものもあるし、外的(環境的)なものもある。
芽を出して、そしてそれが枯れないように、少しずつでも上に伸びていくためには、どうしたらいいか。
試行錯誤はまだまだ続く。


試行錯誤も面白いと思えるようになったのは、まぁ最近かもしれない。
0が1になる。それがたとえ「失敗の1」だったとしても、貴重な経験だ。
一度失敗すると、それも経験値として+になる。
次は同じ失敗はするまいとするから、まぁよいのではないだろうか。



言葉と言葉以外の表現と。

普段から「言葉に頼りがち」というか、言葉で生きているような者なのだけれど、
唐突に言葉から逃げてしまいたくなることがある。
だいたいつらいことがあったときやストレスが溜まりに溜まったときだったりするのだけれど、
そういうとき、ひたすら歌詞のない音楽(クラシックだったり、サントラだったり)を聞いたり、
写真集(世界中の風景や遺跡とかの)をひたすら眺めている。


そして、聞きながら、眺めながら思うのだ。言葉以外の表現の、その奥の深さ、懐の広さはすごいな、と。


言葉にすると、どうにも限定的で、現実的で、少しも安らげない。こうしてブログを書いていても認識する対象が露呈されて、なんとも気恥ずかしかったり、言葉の拙(つたな)さに自分自身モヤモヤとしてしまったり。


言葉以外の表現方法として、絵を描いたりもしていたのだけれど、時間があまりにもかかるので、なかなか描けていない。


描くことで満たされるという感覚を知っている。描きあげたときの満足感というか、充足感というか、描いた絵をずっと手元において眺めていたいと思う。


言葉で書いたものの場合、何度も書いているけれど、読み返すことがほとんどない。
「とりあえず書いて残すこと」に比重があまりにも大きすぎるのと、
自分の文章を読み返すのは、たとえ誰も周りで見ていなくても気恥ずかしいからだと思う。
自分で書いた文章をあとから何度も修正したくなってしまうので、あえて読み返さないというのもある。


それでも言葉で表現することが自分では一番楽で速い(スピード的に)方法なので、採用しているのだけれど、果たしてどれだけ伝わっているのか、もしかしたら、伝わっていることは自分が思っているよりも少ないと思っていたほうがいいのかもしれない。


言葉と言葉以外の表現。
どちらがどうという定義を書くつもりはない。いいとか悪いとかではなく、言葉以外の表現があってよかったとそう思う。つらいとき、ストレスが溜まったとき、逃げられる場所(スペース)があるのはよいことだな、と。
誰にも邪魔されない自分だけの時間というのは本当に大事。

繰り返される日常の中で「自分をたもつ」ためには、他者や社会やメディアなんかから離れ、自分だけの時間を持つようにする、というか持たなきゃだなと。誰にも邪魔されない時間をね。


ということで長くなったので今日はこのへんで。