多すぎるコンテンツに思うこと

まぁ特にネットにおけるコンテンツが多すぎるなぁと思ったので書いてみる。


アニメ好き、漫画好き、本好きは昔からなのだけれど、今はこれらが手軽に見れる読める時代になっていて、まぁそれはネットのおかげだ。


で、コンテンツが多すぎて、もう何がなんだか、という気がしないでもない。
多くの作品が多くの人の目にとまる(可能性がある)場ができたというのは、よいことなのかもしれない。


ただ、あまりにもコンテンツが多すぎて、似たようなストーリー、設定、キャラクターの登場に、食傷気味なのは確かだ。


元々奇想天外というのは好きではないのだけれど、ミステリーは好きなので、最後の最後にどんでん返しがあるような作品は好きだったりする。


その発想はなかった!
そう来るとは思わなかった!
という作品を探している毎日といってもいい。


最近読んだ作品であれば

これらがそうだ。
ネタバレになるので詳細は書かないけれど、久々にうなった作品だ。


さまざまなコンテンツが日々生まれ続ける。
玉石混交。


コンテンツが多すぎて、
玉を見つけるのは難しい。


多すぎて、埋もれてしまう。


玉を見つけ出すのにもコツやテクニックが必要だ。


どこかでも書いた気がするけれど、独特の世界、独自の世界、これからどうなるのだろうという先を知りたくなるようなそんなストーリーは惹きつけられる。当たり前といえば当たり前だけれど、似たような話はすぐに忘れ去られてしまう。新しい何か、琴線に触れる何かがないと、すぐに飽きられてしまう。


目下、多すぎるコンテンツの海に溺れそうになっているのだけれど、まだ溺れてはいない。まだまだ泳ぎ続けるというか、ずっと泳いでいたい。
書かないと書くのが苦手になるように、読むことも読んでいないとどんどん読めなくなる。読みとる感覚が鈍くなってしまう。それはイヤだ。


多すぎるコンテンツをどうこう言っても始まらない。
世に出るものは多くてかまわない。
その中で自分に合うものを見つける、それが大事。


長くなってしまったので今日はこのへんで。


ストックがあったら、また予約更新します。(予約更新はPM9時の予定)


文章を書くのが苦手ということ

久しぶりにブログを更新しようとして、メモ帳に300字くらい書いたのだけれど、なんというか文章が稚拙で、とてもアップできないと思った。はてなブログの更新の仕方も忘れかけていて、これはヤバいなと。


すっかり文章を書くのが苦手になってしまった。


苦手意識をもってしまうと、それに囚われてしまう。
ストレスという言葉が脳内に浮かぶと、さらにストレスが溜まるような、そんな感じだ。


苦手意識は自分で自分にかけた呪いのようなもの、自己暗示であったりもするだろう。


こうして、書こうと思えば、まぁまぁ書ける。
内容はともかく、なにかしら文章は書ける。


書けるが、誰かに何かを伝えたいとか何か表現したいとか、そういう気迫とかテンションはない。


もっとも、淡々とした飄々とした文章のほうが好きなので、自分が書くものもそうありたいと思っている節もある。


個人のブログだし、別に気負わなくていいわけで、文章が上手とか下手とかそれはどうでもいいこと。
とりあえず、自分の頭の中で言葉を紡いでキーを打つ。文章にする。


書かないことでさらに苦手意識が強くなっていく。
これまで2500以上のブログ記事をアップしているようだが、それでも文章を書くのが苦手だと思う瞬間のはじまりは訪れる。
うれしいことのはじまりではないが、はじまったということは、終わりもあるということ。



苦手なら苦手でしょうがない。
それ以上繰り返し自分に暗示をかけるようなことは止めて、苦手になったのは、そもそも書かなくなったからだとそこにツッコミを入れたい。つまり、書けばいい。苦手だなんだと書かない理由にするのは簡単だ。でもそれがイヤで、こうして書いているわけで、


「苦手だけど、まぁ書けないことはない」程度でOKなのでは?


高尚なことを書いてきたわけでもないし、まぁ肩の力を抜いて…というわけで今日はこのへんで。


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「休みの間にしたいこと」とか「今考えていること」とか

どうやら90日以上ブログを更新していなかったようで、

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という表示がががが。


というわけで久々にブログを更新。
といっても普段仕事しかしていないので、特に書くこともなくて、まぁ圧倒的にインプットが少ないわけで。


本も読んでいないし、漫画もほとんど読んでいない。
ドラマも映画も見る時間がなくて、このお盆休みには本(漫画)を読んだり、映画(ドラマ)を見たり…普段できないことをしようかと。


そして、読みたい本や漫画や見たい映画やドラマが多すぎて、とても休みの間に全部は無理だと思った。


それでもこの休みを有効に使いたいし、読めるだけ読んで、見れるだけ見て、あとは、いろいろ考えたことを書いておこうとか思っていたり。


記録するというのは、本当に大事なことだと思うわけで、しかしながら、めんどくさがりなので、細かく記録したりはしない。
以前は日誌を書いていたけれど、今は書いていない。日記は言うまでもなく…。


書くこと自体すっかり苦手になってしまった。読むことも。


これも普段長い文を書いたり、読んだりしないからだろう。


もっともこれは個人的な感覚なので、何とも言えないところなのだけれど、本人がそう感じているというところは「そう」なのだから、それを他者はどうこう言ってはいけないのだと思う。


苦手になってしまったことをどうにかしたい。
書くのが好き、読むのが好きと言っていた頃を取り戻したい。
今考えているのはそういうこと。


そして、取り戻したいというのは、完全に失ってしまったわけではなく、まだ取り戻せるかもと思っているから、そう思うのかもしれない。取り戻せるもの、取り戻せないもの、それはケースバイケースで一概には言えないのだけれど、まぁ「若さ」は取り戻せないもののひとつだよなぁと思ったり。もっとも「若さ」を手放しで賛美したりはしない派なので、「若さ」うんぬんにこだわりたくもなかったり。


年をとってきて、気力も体力もなくなって、でも、年をとってきたからこそ、情報を分析したり、自分なりの考えを表明できたりというのはあるように思う。自分の軸がしっかりしてきたというか。年をとるもの悪くないと思えるのはそういうところだろうか。


長くなってしまったので、このへんで。
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ブログに文章を書くことについて考えてみた

引き続き文章に関することをつらつらと書いてみる。


komoko.hatenablog.com
komoko.hatenablog.com
こういうことを書いているのだけれど、書いて以降も流れるプールで流されるように考え続けていたのだけれど、結局のところ、まずは一生懸命書いてみるところから始めたらいいのではないだろうか、と。


一生懸命というか、真摯に向き合うというか、丁寧に言葉を紡ぐというか、まぁテキトーに書いても面白ければそれでいいのだけれど、自分の性格的にテキトーというのはあまり受け付けなくて、テキトーに見えるけれど、実は計算されている的な文章が好きだったりする。なので、テキトーに紡ぎながら、しかしながら、伝えたいことは明確に。特に私のブログはポエムを書く場ではないと思っているので、ある程度論理的な、読んでわかるものを残すようにしたい。


思いつくままに書いたものは、だらだらとした長文になりがちで、それは読み手を疲れさせるし、そもそも読む気をなくす。
私が1記事1000字から長くても1500字程度にまとめているのも、そのくらいがちょうどよいと思っているから。


それくらい書くと、伝えたいと思うことが伝えられるように思うし、読み手にとっても何か得られるもの(惹かれるもの)を見つけられたりするんじゃないだろうか。
こもこ(私)という人は次はどういうことを書くのだろう?
そんな興味を持ってもらえたら、うれしい。


私が書く文章は予定調和のことが多いのだけれど、たまにはそうじゃないときもある。拍子抜けをすることもあっていいし、想定を裏切るようなことがあってもいいと思っている。


刺さるような文章を書かなくてもいいと思っているし、刺さるような文章を書いたつもりはないのに刺さってしまった場合もある。
文章に面白さとかそういうのは別に求めてないという人もいるだろうし、もしかしたら、共感できるものを求めている人もいるかもしれない。
そういう読み手が求めるもの(あるいは求めていないもの)を想像するのは、楽しい。
楽しいけれど、それらを意識して、迎合し始めたら、書けなくなるので要注意だ。


読み手(他者)の目を全く無視するのもどうかと思うが、意識し過ぎすぎると動けなくなるものだ。
ここは自分のブログだと割り切って、好きなように書いたほうがいい。
好きなことには一生懸命になれるものだ。


文章を書くのが好きなら、書けばいい。
書いて残したいものがあるのなら、書いて残せばいい。


好きなように書くといっても、読みづらいものは書きたくないというのがある。
これは一種の縛りかもしれない。
自分の文章力はある程度keepしておきたいというか。


最近、次々と課題が雨後の筍(たけのこ)のように生えてきて、頭を抱えている。
が、こうして文章を紡いでいる間の平穏、静寂、フローな状態が心地よくて、現実をつかの間忘れる。
現実を忘れる時間というのは、やはり必要なもののように思う。


長くなってしまったので、このへんで。
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面白いと思う文章を書きたいということ

今日も引き続き文章について考えたことを書いてみたい。
仕事は山積みなのだが、どこから手をつけてもすぐには終わりそうにない夏休みの宿題のように多種大量なので、せめてブログを書くことで脳内を整理したい。仕事から逃げてる(逃避している)と言えないこともないが、春の嵐疲労困憊の身、息抜きも必要だ。あるいは……試験勉強をしなければならないのに、机の上や周りを片づけたり掃除を始めてしまうことにも似ている。
komoko.hatenablog.com
上の記事を書いて、読み直して思ったのは、「そうか、私は面白いと思ってもらえる文章を書きたいのだな」ということ。


面白いというのは、主観的なものだ。
私が面白いと思うものが、他の人も面白いと思うかどうか、それはわからない。


「万人に受けるブログはない」というのは、耳にタコができるくらい、窓ガラスに指紋が残るくらい書いてきたことだ。
万人に受けなくても、まぁまぁの人が面白いというものは、「有り」か「無し」かといえば、「有り」だろう。
その「有り」を求めて彷徨う旅人になるのも、やぶさかではない。


しかしながら、その面白いという主観的なもの、ごく個人的な、感覚的なものが私と他の大多数の人とでは解離しているように思えてならない。私の感覚が大多数の人と違う、かけ離れているとは思いたくないのだけれど、どちらかといえば、私の感覚は異質というか、まぁちょっと特殊というか、変わっているというか、ズレているというか……まぁ、その自覚はある。


このズレとか異質性を武器にして面白おかしくしてもいいのだけれど、それが次第に色物キャラ化して…...うーん、それは本意ではないなと思ったり。


まぁ、面白い文章が書きたいという欲が出てきたというのは、よいことなのかもしれない。
少し前まで、水だけ飲んで光合成して、ひたすらボーっとしていたい、木々の葉が風に揺れる音だけを聞いていたい、もうひと言も話したくない、と思っていたのだから、ちょっとは人間に戻ってきているということだろう。


自分が面白いと思う面白さと、他者が面白いと思う面白さは違う。
どうせ違うのなら、自分が面白いと思うものを追求したほうがいい。
他の人の目や評価を気にし始めたら、キリがないし、何もできなくなったりするし、なんというか、やってみたいのならやってみたらいいと思う。やってみて、0を1にしてみて、それからまた考える。


試行錯誤は日常茶飯事で、仕事でもやっていることだ。はじめからうまくいくことなんか滅多にない。
もっと気楽になんでもやってみていいんだと思う。


面白い文章、まぁまぁの人に面白いと思われる文章がまぁ書けたらいいな、くらいで始めてみようと思う。


森先生の本を思い出した。もう一度読み返そうかな。

長くなってしまったので、このへんで。
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多くの人が面白いと思う文章とは?

仕事が忙しくて、しばらく更新できないでいた。


仕事があるというのはありがたいことだけれど、ストレスも溜まっていく。
他の人のトラブルに巻き込まれたり、思わぬケガをしてしまったり、とあることを知らなかったことで痛い目に遭ったり、春の嵐のような日々に心身ともに疲れてしまって、ふと思った。文章が書きたいと。


文章が書きたい。それも自分が書きたいと思う文章を。
書きたいことを書いてしまえば、脳内は凪ぐのではないだろうか、と。


もちろん、このブログに縛りなく書きたいことを書いてしまってもいいのだけれど、そうしたとしてどれほどの人がその文を面白いと思うだろうか。果たして、脳内の春の嵐言語化したとして、興味を持ってもらえるだろうか。そもそも読んでもらえるのか疑問だ。


人それぞれ興味を持つことはちがう。また、面白いと思うこともちがう。


自分的には、面白いというのは、なにか発見があったり、知らなかったことを知ることができると面白いと思うのだけれど、それは他の人も同じなのだろうか。多くの人が面白いと思う文章とはどういう文章なのだろう?


万人が面白いと思う文章はないわけだが、まぁ大多数の人(7割とか8割とか?)が面白いと思う文章と言うのは実際あるのではないだろうか。


自分のオリジナルの文章で、面白いと思ってもらえるような文章を書いてみたい。
自分の脳内を垂れ流すような文はおそらく面白くない。
文脈があって、オチがあって、最後に「ほうほう」とうなずいてもらえるような、そんな文章が書けるようになりたいと、思っているのだが…。


多くの人が面白いと思う文章について、もう少し考えてみたいと思う。


長くなってしまったので、このへんで。
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フリーレンを読んで、考えたこと(その5)

その5になってしまった。「まだ書くことがあるの?」というより、
komoko.hatenablog.com
その4で告知していたフリーレンの2巻の名言の続きだったりする。


例によってネタバレありなので、ネタバレを踏みたくない人はそっ閉じ推奨。

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