『葬送のフリーレン』シーズン1エピソード2を見て考えたこと

これは原作のマンガのほう。


今日はアニメのほうの『葬送のフリーレン』シーズン1エピソード2「別に魔法じゃなくたって…」の話を見て考えたことをつらつらと書いてみる。以下ネタバレありなので、ネタバレを踏みたくないかたは、そっ閉じ推奨。







フリーレンはヒンメルの故郷の花「蒼月草(そうげつそう)」咲かせる魔法を探し、とうとう見つける。
そして以下のような会話。

フリーレン「これで蒼月草の魔法が作れるよ」
フェルン「なんで そんなに魔法に一生懸命に…理解できません」
フリーレン「わかるはずだよ。フェルンだって魔法使いになることをあきらめなかった」
フェルン「それはちがいます。私は1人で生きていける力さえ手に入れば 何でもよかったのです。別に魔法じゃなくたって」
フリーレン「でも…魔法を選んだ」
フェルン「あっ…」
フェルン フッと笑って「そうですね」

このシーンが好きだ。
ハイターはフリーレンにフェルンを託し、ハイターの死後、フェルンはフリーレンと旅をする中でのエピソードなのだけれど、なんというかフェルンの真面目さ、頑(かたく)なさ、ちょっと頑固なところがあるのだけれど、まぁそれがフェルンなわけで、飄々としたフリーレンといいコンビ(?)なのかな、と。


このエピソード2で、フェルンは、1人で生きていける力がほしかった、ハイターが救ってよかったと思ってもらえることが恩返し…ということも言っていて、いやはや、けなげで、実直で、若いけれど一人前の魔法使いで…。


このエピソードで考えたのは、生きていくための術(すべ)が必要だとして、仮にいくつもの選択肢があるとして、現代はその選択肢が多すぎるのかなとも思ったり。
選択肢が多すぎて、逆にどうしたらいいかわからなくなる。
あれもこれもできそうで、できそうだけど、実際はできるわけでもなかったり。
意欲(やる気)は最初はあっても、時が経つにつれて、それはしぼんで、干からびて…。


「1人で生きていける力を手に入れる」って、なんなのだろう。
生きていくのに必要なものを手に入れるために例えば「仕事をして稼ぐ力を手に入れる」という意味もあるだろうし、文字通り「1人で生きていける力」を手に入れるということも言えるだろうし、なかなかに奥が深い言葉だと思う。いろいろと定義できそうな言葉だ。


生まれたときも1人だし、死ぬときも1人だし、でも生きていくのは1人じゃ無理と私自身思っている。だから何?そんなの当たり前じゃんという声が聞こえてきそうだ。


「1人で生きていける力」についてもっと考察して書こうと思ったのだけれど、これはなかなかに重い。重くて1000字やそこらでは書けそうにない。(まぁ1000字にこだわる必要もないのだけれど)
「生きていくのは1人じゃ無理」というのと矛盾するかもしれないけれど、無理だとわかっていつつ、それでも「1人で生きていける力がほしい」「自立したい」と思うのは自然なことだと思うのだけれど、どうだろうか。まぁ「自立」という言葉をここで出したけれど、それもまた定義はいろいろで、人によって定義が微妙に違っていたりするし…。


「1人で生きていける」というのと「誰も頼らず1人きりで生きる」というのは違うと思っていて、なんだろうな、誰も頼らずというのは、他を寄せ付けない頑(かたく)なさが付随していて、ちょっと抵抗感がある。


頑なさは孤独につながっているように思う。
孤独は一概に悪いこととは言えないのだけれど、孤独には何故か忌み嫌うイメージがつきまとう。


さて、今日はまとまりそうにない。まぁそういうときもある。
フェルンは魔法使いで、見た目も性格も可愛い。
という言葉を残して今日はこのへんで。

いま一番欲しいのがこの画集だったりする。