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ブログが書けなくなるということ

仕事が忙しくて、そして面白くて、ブログが書けなくなっている。
今でも勿論書くことは好きだけれど、今は仕事のことで頭がいっぱいだ。これは断言できる。曖昧を好む私が断言するのだから、これは貴重だ。希少だ。四葉のクローバーレベルの断言かもしれない。


頭の中が仕事でいっぱいだから夢の中でも仕事をしている。本気モードで仕事している。OPからはじまってEDまできっちり流れる長い映画を見るように夢の中で仕事をしている。そして「やったー。なんとか終わったー!」とバンザイしていたら、それは夢だったということが一体幾夜あったことだろう。


ブログのことを忘れたわけではない。書きたい話題はいくつもある。いくつもあるけれど、文章にするとなると時間がかかる。以前は「ブログは15分で書ける」「トータルで30分あれば書ける」なんて言っていたけれど、それは甘い砂糖菓子のような理想論で、今では「15分や30分で一体どれほど読ませるものが書けるのか」と疑問視している。


ふと思ったこと、考えたことを書きとめておくのなら、メモ帳でも良いし、発信したいのであればTwitterでも良い。Twitterのほうが気楽だ。反応も早いし、短いから最後まで読まれる。一方ブログは、最後まで読まれないことも多々あり、Twitterに比べ反応も遅いし反応が全くないことが本当に多くて、思いをこめて長文を書いたとしても読まれている感がないので、なんだか深い穴を掘ってその底で自作の歌を一人カラオケしたような気持ちになる。


歌でも文章でもそうだけれど、歌わないと書かないとだんだん下手になる。もっとわかりやすい例は車の運転かもしれない。しばらく運転しないと久しぶりの運転の下手さ・ぎこちなさに運転するのが怖くなる。今日こうして書いているのも、書かないでいると書けなくなることが自分でわかっているからで、何度も書いては消しを繰り返し、時間ばかりかかってなかなか更新ボタンを押せないでいる。


書けない理由を滔滔(とうとう)と書きたくはない。今日は、こうして「書こうと思えば書けるんだよ?」ということをアピールしたいだけで、それ以上でもそれ以下でもない。私は相変わらずで本当に変わっていない。変わったように見えるのであれば、それは見ているその人の見方が変わったということだ。


もし変わったところがあるとすれば、仕事が忙しくなったということと今仕事が面白いということ。面白さは以前より増している。仕事をすればするほど面白くなる。いつか飽きるのかなと思うこともあるけれど、いやどうだろう。毎日が新しいことや変化の連続で、飽きそうにない。勿論たまに嫌なこともあるけれど、その嫌なことがすべてではい。嫌なことを凌駕するほどの面白さが仕事にあって、一言で言えば楽しい。楽しいことに夢中になるのは仕方がない。当然のことだ。


ブログも楽しいけれど、それを超える楽しいものがあればそちらへ向かってしまうのは仕方がないことだ。ただ、せっかく何年もブログを続けてきたのだから、もう少し書いていたい。それが本音だ。
「去(さ)る者は日日に疎(うと)し」のように「書かなくなって忘れ去られたくない」という思いは今もある。忘れ去られたくないのであれば、書くだけだ。こうして発信すればよい。


今現在何年このブログが続いているのか、それすらすぐにはわからないくらいアバウトな私だけれど、多分これくらいアバウトだから続いているのだと思う。「書けない」「書くことがない」と悩むタイプではない。むしろ書けないのならそれを話題にひとつ書けばいいと思う。「どうしてブログが書けなくなったのか」その理由を考えるのも面白い。


人それぞれにある理由を突きつめていけば、ブログよりもやらなければいけないこと(仕事)や楽しいことができた(増えた)から、あるいはブログに代わってTwitter等他の発信ツールができたということになると思うのだが、どうだろう?もしかしたら単純にブログに対する情熱がなくなってしまったという場合もあるかもしれない。でも、情熱はなくても、意外と書けるものだったりする。むしろ、ブログ熱が冷めて、冷静な状態で書けるので良いものが書けるのではないだろうか。淡々と書いて発信する。反応うんぬんは気にしない。自分に言い聞かせる意味でもここに書いて残しておこう。