すぐれた指導者は、うまくほめる人であることがすくなくない。文章を書くときも、ひとりで書いているだけでは張り合いがすくない。いちばんいいのはほめてくれる人がいることだが、そんなに都合よくほめ上手の先輩知友が得られるとはかぎらない。ほめてくれなくても、注目してくれる人がほしい。まずいところを指摘してくれるのでも、無視されるよりどれほどましか知れない。せめて読んでくれる人でもあると、文章を書く気持ちはぐっと違って来る。
『文章を書くこころ―思いを上手に伝えるために (PHP文庫)』外山滋比古
Twitterでもそうですが、反応があるというのはうれしいことです。
ブログもそうですよね。
アクセス数はそこそこあっても、反応がないと読まれている感じがしなくて、なんとなくヒトカラっぽいなと思ったり。
ヒトカラも楽しいのですけれどね。
ブログに書いたものをほめてもらったり、読んだということがわかると励みになりますし、やはりうれしいです。
書くエネルギーになるというか。
日常でほめられることってなかなかないです。
ほめること自体難しいですよね。
もっともっとほめていいんだと思います。
ほめられて悪い気持ちはしないと思います。
ほめられたらうれしい。
それって大事なことですよね。
ほめられたらまたがんばろうと思う。
単純かもしれませんが、そんなものですよね。
私も単純なので、ほめられたら素直によろこんでます。
書いたものをほめられた^ら、また書こうと思います。
なんていうのかな、自分が書けるものを書けばいい。変にかっこよく書こうとかしなくていい。
書けることを書こうと思うようになって、すごく楽になりました。
やっぱりですね、書かないことにははじまらないなぁと。
0を1にするっていうのかな、
思考を言語化するのをめんどくさがらない。
たどたどしいかもしれないけれど、
とりあえず思ってることを文章にしてみる。そんな感じです。
まずはそこから。
書いたものをいろんな人にほめていただき、ええ、のびのびと書いてます。
書くペースもあがりました。
さて、話を戻して、
仕事でも家庭でもそうだと思いますが、もっとほめていいと思うのですよね。
さりげないひとことでいいんですよね。
さらっとほめることができる人はいいなと思います。
ほめることで人はのびます。
ほめて育てよという言葉もよく聞きますよね。
すごいね
とか
がんばってるね
とか
さすが
とか
言われたらやはりうれしいですよね。
また反応があるというのはうれしいことだったりします。
人は無視されるのがいちばんこたえると思います。
そういえば、昔ほめ殺しって言葉ありましたね。
最近は、聞かなくなりましたねぇ(笑)