レベル1とかレベル2でしかないのに、レベル10の敵と戦うのは無理すぎる。

「レベル1とかレベル2でしかないのに、レベル10の敵と戦うのは無理すぎる」
というタイトルにしたけれど、これは本当にごく最近になってそう思うようになったので書いてみる。



先日思いがけず褒められることがあった。なんというか、大人になると褒められることは少なくなるものだ。希少で貴重な褒められ体験なのだけれど、仕事関係なので具体的には褒められた内容は書かない。簡単に言えば、「評価された」ということだ。評価されることは嬉しい。仕事を続けてきてよかったと思う。結局のところ、認められることで、精神的な安定や安心を得られるというのは、多分これからもずっと続くのだろう。


逆に言えば、否定されることはつらい。けなされて平気でいられる人は少ないだろう。けなされれば落ちこむし、無力感に苛まれたり、もう何もしたくないと思ったりもする。私にもそういう時期もあった。あったけれど、何もしたくないと逃げたところで、おそらく何も変わらない。逃げ出したいのを必死に踏みとどまったのは、自分でもよくわからないけれど、時間が経てば、痛みは薄らいでいくとそう思っていたからかもしれない。よく言われることだけれど、「時間は薬」だと思う。時間が経つうちに、けなされたこともどうでもよくなってきて、当時の自分はそれだけのレベルでしかなかったのだから仕方がないと、そう思うようになった。レベル1とかレベル2でしかないのに、レベル10の敵と戦うのは無理すぎる。でも、そのときは戦うしかなくて、見事に「しんだ」のだけれど、今なら思う。あの10レベの敵と戦うなら「違う戦い方をする」と。


まぁ、この「違う戦い方をする」というのも、少しずつ経験を積んだ今だから言えることで、経験がないうちは無様な負け方をしても仕方がない、仕方がなかったんだ、とそう考えるようになった。これから先また満身創痍で負けることもあるだろうけれど、まぁそのときはそのときだ。負けたら負けたで敗因を追求するだけだ。敗因を知っておいたほうが、同じ轍を踏まなくて済む。そういうことに気づいたのも、本当にごく最近だ。


けなす人は、求めるレベルが高いことが多い。その求めるレベルができない相手をけなすことで、その人を発奮させようとしている場合もあるし、単に自分がレベル上だということ示したい場合もある。「どうしてそれくらいできないの?」と。仕事でできないことを責められて、いたたまれなくなった時期もあったのだけれど、最終的には開き直って、現在に至っている。できないものはできない。レベル1か2の者に、要求が過大すぎるだろうと。他山の石として、私も他者に過大に要求しないように気をつけたい。


レベル1とかレベル2でしかないのに、レベル10の敵と戦うのは無理すぎる。
こてんぱんにやられたとしても、自分を必要以上に責めないように。


そして、レベルの上がり方というのは、まぁ人それぞれだから、早い人もいれば遅い人もいて、自分は後者だろうな、と。それがわかっていれば、いたずらに焦らなくてもいいのではないかと。


久しぶりのブログ更新になってしまったけれど、また書き留めておきたいことがでてきたら、書こうと思う。



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