センチメンタル猫

昔、実家で猫を飼っていて、
その猫は迷い猫だった。


実家に迷いこんだ猫は庭先にしばらくの間居ついていたのだけれど、
雨がひどく降った冬のある日、母が家の中に入れて、
それからうちの猫として飼うことになった。


猫はおとなしかった。
すでにうちでは子犬を部屋の中で飼っていたのだけれど、
猫と子犬がケンカをするということはなかった。


猫は夏になるとセミをくわえて帰ってきた。
ハトをくわえてきたこともある。
そのときはさすがにびっくりした。


猫はどういうわけかわたしにあまりなつかず、
子犬のほうがなついてくれていた。


猫をなでたりするけれど、
猫はどこか遠慮がちで、ものすごく仲が良いという関係にはなれなかった。


猫はおとなで、
でも、ホントはもっと甘えてほしかった。
子犬はわたしだけでなく実家の家族誰にでも甘えた。


猫はうちにあとから来たせいか本当に遠慮深くて、
実家の二階の出窓が猫の指定席だった。


出窓から外を眺める猫。
猫はいつもセンチメンタルだった。
黄昏の空とレースのカーテン、そして猫。


実家の母が言うには、
近所の家の飼い猫で、
そこはおばあさんが一人で住んでいて
そのおばあさんが亡くなって、
猫はひとり残されたんじゃないかと。


ひとり残された猫。
正確には一匹残された猫だけれど、
ひとり残された猫でいいと思う。


猫は家族だった。
冬の雨の日、家族になった。


私が実家を出てから
猫は死んだ。
老衰だったようで、
静かに眠るように息をひきとったらしい。


私は猫の最期に立ち会うことはできなかった。
それが今でも心残りだ。
今みたいに携帯にカメラ機能もデジカメもなかった頃だったので、
猫の写真はほとんど残っていない。


猫が生きているうちにもっと写真を撮っておけばよかったと思う。


数少ない猫の写真は大切にしまってある。


センチメンタル猫。
黄昏色に染まった空。
レースのカーテン。
出窓から外を見る猫。


静かでおだやかな猫だった。

期待しないほうがうまくいく

期待しすぎないほうがうまくいくと言ってもいいかな。

というのもですね、
期待するものとちがったときのがっかり感というのはやはり相当あるものなのだなぁということを最近思ったのですよね。
というわけで期待という言葉をキーワードに書いていきます。

1.期待は裏切られる

人でもモノでもサービスでもそうですけど、実際接してみたら、たいしたことなかったむしろ、予想や期待を裏切ってがっかりしたというのは
あったりしますよね。


美味しいと評判だから食べてみたけどそれほどじゃなかったとか、すごくいいという噂だから買ってみたけど、使ってみたらたいしたことなかったとか。


Twitterもあちこちで話題になっていて楽しそう面白そうということで期待してはじめたけど、期待していたようなものは得られなくて、がっかりしてしまった、自分には合わないという話も聞いたことあります。


期待というのは大きければ大きいほどがっかり感、裏切られ感も強いのかな、と。

2.人に期待した場合どうなるか

具体的に品物名、サービス名、作品名はあげませんけど、まぁ売れてる本だって宣伝されてる映画だって、実際読んだり見たりしたらがっかりというのはありますよね。お金がもったいなかったなぁとかあとから思っちゃう。


で、これが人の場合どうなるか。
「Aさんってすごくいい人」
と聞かされていて、実際Aさんと接してみたら、
「え?どこがいい人なの?」
という場合。


「Aさんってすごくいい人」という先入観が入っちゃってるから、それが期待につながってしまって、実際はその人が思ういい人とはちがって、結果的にがっかりしてしまう。


「勝手に期待してるんだから期待するほうが悪い」
という考え方もできますけど、やっぱり人間期待しちゃうものなんですよね。


例えば、Twitterでおすすめユーザーを表示したりしてますけど、おすすめユーザーってことはそれなりに面白いことやためになることつぶやいているんだろうな、って期待してフォローすると、期待はずれだったり・・・。
まぁ人それぞれ期待するもの、求めるものがちがうから仕方ないんですよね。Bという人がすすめる人が必ず自分にとって期待に沿うものだとは限らない。期待はずれのこともある。


そう考えると、人をすすめる、人を紹介するって難しいなぁって思っちゃいますね。


自分が思ういい人が、紹介した人にとっていい人とは限らない。
「どこがいい人なんですか?」とか「いや、別に・・・」とか言われた日にゃ、やっぱり多少なりともショックを受けます。
「うーん、わたし的にはいい人って思ったんだよね」としか言えないかな。

3.ギャップはあるもの

【雑文】オフ会。ネット上とリアルで会ったときのギャップってあったりするよね。』というのをだいぶ前に書いているのですが、これは今もそう思うかな。


Twitterでつぶやき数多くて、フォロワーもすごく多くて、がんがんTwitterエンジョイライフを送っているように見える人でも、実際オフ会で会ってみたら、シャイで、遠慮がちで、そんなにしゃべらなくてという人いました。


ただ、それが悪いとかじゃなくて、人って多面的だから、しゃべるよりも書くほうが早いし楽でがんがん書いちゃうという人はいるのですよね。私もそのタイプです。しゃべるよりも書く方が楽。


Twitterで見えてるその人と実際のその人がイコールじゃないというのは言えると思うのです。


私としてはTwitterで見えてるその人もその人だし、実際、目の前にいるその人もその人。ギャップがあったとしても、ギャップがあるのが普通だと思うのです。
Twitter上では饒舌な人が実際会ってみたら実は口数少なかったというのがわかったら、むしろうれしいかな。意外な一面を知ることができてうれしい。


Twitter上オンラインで仲良くなって、それでオフラインでも会って仲良くなれるかといえば、それはわからない。
オンラインでイメージしているものがものすごくよいイメージであればあるほど、オフラインで実際のその人を見たときのギャップに「えーー?」ってなってしまうものかも。


オンラインではかっこいいこと言ってるくせに、「実際はなにこの人、たいしたことないじゃん」って場合もあったり。
いえ、実際会ってみたら、オンラインオフライン変わらないよねという場合もあったりするのですが。

4.期待しないで気楽にやるのがいい

人って出会いとかひそかに期待してしまいがちだけれど、実際に「これは運命だー!」みたいな出会いというのはなかなかないものなんじゃないかなぁ。まぁ運命的な出会いもあるかもしれませんけど・・・。


「僕たち出会う運命にあったんだね」みたいな考え方はちょっとその場の流れに酔っちゃってるような気がします。


なんといいますか、、
Twitterで出会いとかそういうのはあんまり期待しないでやるのが楽でいいんじゃないかと思うのですよね。これは個人的に思うだけで、実際には出会って結婚したりしている人もいらっしゃいますから、まぁ絶対に出会いがないというわけじゃないのですけれど。


Twitterがきっかけで出会って結婚するというのは、まぁ極一部で、まだまだ珍しいんじゃないかな。出会ったけれどつきあってみたけどうまくいかなかったという場合もあると思いますし。


よいなと思う人に出会えたらいいけど、出会えなかったら出会えなかったで仕方ないんじゃないかなぁ。縁とかもありますし。


なかなかその人の本来の姿って見えないものなんですよね。
Twitterだとその人のつぶやきでその人自身を判断、イメージしてしまいがちだし、イメージするしかないのですけど、そのイメージを膨らませすぎたら、実際とのギャップに苦しんじゃうよ、という感じかな。ギャップはあるのがあたりまえ。人は見たいようにその人を見るわけだし、イメージとちがうってがっかりする可能性も視野にいれておいたほうがいい。がっかりした場合は、自分で勝手にイメージ膨らませすぎちゃったんだなって思うしかないかな。


逆にTwitter上では毒舌だったりアグレッシブだったりしても、実際会ってみたら、そんなことはなくて、話題が豊富で面白いことばっかり言う人だったということもありますし、まぁそれぞれですね。


まぁ、Twitterに限らず、人間関係とかもそうだと思うのですけど、あんまり過度に期待しないで気楽にやった方が結局は楽しめたり長続きしたりうまくいったりするんじゃないかな。