地方で頑張っている人もいて、限界と言われてもギリギリのところで踏みとどまってそこを離れずに(もしくは様々な理由で離れられないで)いる人もいる訳で、そういった人の存在も忘れないでほしいかな
というようなことをブックマークコメントに書いたのですが、もう少し書き足すと、そういう地方に住んでいる人の中にはやっぱり都会に出たいと思う人もいるわけですよね。
チャンスがあったら都会に出たいという人。でも、なかなかそのチャンスもきっかけもないまま地元でずっと…。で、地元で仕事をして出会って結婚して子どももできて、その地に根を下ろしてそこでずっと生活していく。誰もが都会に出ていくわけではなくずっと地方から出ることなく一生を終える人もいるわけで、生まれた土地で生きていくという選択しかできない人もいたりするわけです。
まぁ確かに地方には地方ならではの問題が山積していますが、だからといって『詰んだ』『限界だ』という視点で見るというのは、いかがなものなのかな、と。
地方のゆっくりした生活が性に合っている人はいて、都会のような刺激はないけれど、静かで平穏。人ごみを右往左往するより海で釣りをしているほうが楽しいという人もいるのではないかと。
地方には地方のしあわせがあって、なんといいますか、どこに住んでいてもしあわせは感じることはできるんじゃないかな、と。
むしろ都会に住んでいる人から『地方詰んだ』『地方の暮らしは限界』と言われるのはうれしいことではなく、そもそも延々と発展し続ける場所というのはこの地球上のごく一部。多くの場所は栄枯盛衰していくものではないかな、と。
その場所の栄枯盛衰を嘆いても狼狽えてもどうしようもないように思うのです。
寂れていくのがその土地の運命ならそれを受け入れるしかなくて、受け入れた上で自分ができることをしたい。どんなところに住んでいても自分ができることはあるはず。
寂れていくのを見るのはつらいもの。人がどんどん都会へ出ていくと、取り残されたような気持ちにもなります。が、取り残されたのではなく、自分はここに残ることを許されたのだと思えば、まだまだここでがんばろうかな、とそんな気持ちになります。ここで、自分が、できることをやる。地味だけど地道に丁寧に。そんな生活がわたしに合っている気がします。