価値観が変化していくということ

私だったらこう考える (幻冬舎文庫)

私だったらこう考える (幻冬舎文庫)

あなたは不幸じゃない、あなたの幸福感がまちがっているだけだ。人は大人になるにつれて、生きる上での価値観をお金や権力や美や若さから、精神的なものへとスライドさせることができなければ、生きていることがとてもつらいものになるのではないか
私だったらこう考える (幻冬舎文庫)より

引用した部分にハッとさせられた。
価値観をスライドさせる。これはまさしく今わたしが今感じていることだ。スライドは変化といったほうがいいかもしれない。価値観の変化、考え方の変化、自分が良いと思うものが少しずつ変化している。


お金や権力、美、若さといったものに価値を置き、執着すると、いつか苦しくなるときがくるのではないだろうか。お金や権力は失う可能性があるのもの、美や若さはいずれ失われていくもの、ないがしろにしてもよくないけれど、あまり固執しすぎるのはいかがなものかと思う。


いつか失われるかもしれないものを追い求めるよりも、内なるもの精神的なものを満たすことのほうが自分にとって大事になっていくような気がする。


どうやら価値観と言うものは、年をとると誰でも多かれ少なかれ変わるものらしく、変化するのはわたしだけではないということで不安になることはないのかな、と。このまま流れにまかせてみるのも面白いかな、と。


ただ少しずつ変化を感じながら思うのは、自分の価値観を尊重してくれる人、わたしの価値観に対してジャッジしない人はいっしょにいても楽だけれど、その逆はつらいな、ということ。価値観を否定する人、自分の価値観を押し付ける人、価値観をジャッジする人とはいっしょにいて疲れるし、長くいっしょにいたいとは思わない。ジャッジするタイプの人はネット上でもしばしば見受けられるけれど、ジャッジするのが習慣になっているのだと思う。



価値観が変わるのは自然なこと。
無理やり変える必要はないけれど、変わっていくものは仕方がない。


変わっていくものも楽しみたい。
変化に鈍感ではなく敏感でいたい。


これからはもっと精神的なもの、考え方とかそういうものについて重きを置いていきたいと思うし、もっと広い世界、未知のものに目を向けてみたい。興味関心の幅を狭くしたくない。視野狭窄に陥らないよう気をつけたい。


さまざまな価値観を知るのにネットは手軽で便利だし、本も役に立つ。どういう価値観で生きていくにせよ、誰かに押しつけたりはしたくない。その人にはその人の価値観、考え方があるのだから。