自分の価値観を否定されて、どう思ったか。

最近、自分の価値観を真っ向から否定されることがあった。
いやはや、びっくりというか、ムッとなってしまった。
そんなに強い主張をしたつもりはないけれど、「私だったら~」と言うフレーズから始まるのは、十分主張になるのだな、とあとから気づいて自分に対して嗤(わら)ってしまった。


価値観を否定され、対立関係が生じてしまい、ここで「いつもの私」がpause(一時停止)ボタンを押した。そして退却。


対立関係は苦手だ。対立の舞台ができてしまった時点で、対立から衝突に至るのが嫌で、対立から去るのが「いつもの私」だ。


誰かに自分の価値観を否定されるのは面白いことではない。
でも反論というか、自分の価値観を押し付けようという気はさらさらなくて、仮に自分の価値観をゴリ押ししたところで、よい結果になるとは限らないと思ってしまう。
「これが自分の価値観なんだよね」「今更変えられない」などと頑固、融通が利かないそういう自分になりたくなかったのだと思う。


自分の価値観を否定する価値観もあるんだと思うと、そんなにびっくりすることもムッとなることもなかったわけで、
やっぱり自分の価値観を絶対視していたんだなと、あとになって思うわけで。


価値観や考え方がぶつかって、それですぐに去る(退却)するのも、本当はよくないのかもしれない。
でも、やっぱりあの場面で自分の価値観をゴリ押しするのはどうかと今でも思うし、相手の価値観もよくよく考えたらわからないこともない。
私も自分の価値観をわかってくれると思っていたのかもしれない。
が、実際にはわかってもらえず、悔しかったのかもしれない。

「話せばわかる」というのはよく聞くフレーズだけれど、話して「価値観をわかってくれる」と「支持してくれる」というのは必ずしも=(イコール)ではない。つまり、その人の価値観はわかるけれども支持はしないということは往々にしてあるものだと、まぁそういうことだ。わかってくれると期待しないほうがいいということかもしれない。


さて、長くなってきたので、そろそろまとめ。
自分の価値観を否定されてどう思ったか。価値観を否定されて、結局のところ、それでも自分の価値観は変わらないと思ったのと、でも融通を利かせるのは大事だなと。否定される経験をしたことで否定される耐性がちょっとはついたかと思うとまぁ悪くはなかったかと。