気にしすぎるということ

どうしてあの人はあんな表情、態度をとったのだろう?


どうしても気になることが最近あった。


一瞬の戸惑いの表情、そして私とは話をしたくないとも受け取れる表情。全身で私を避けようとする態度。私の言ったこと、やったことの何かがAさんのしゃくにさわったのだろう。何がしゃくにさわったのか、わからない。わからなくて、悩む。いまさら、聞くわけにもいかず、ただただ気になる。私が気づいていない何かがAさんを不快にさせた。Aさんはなんの理由もなく不快感をあらわにする人ではない。おそらく何かあった。あったから、私を避けている。


終わったことは水に流して、気にしないほうがいいよ。
そういう考え方もできる。
Aさんも露骨に不愉快の表情を出して、あとで「しまった・・・」と思っているかもしれない。「しまった・・・」と思っているから、そのあと私と顔を合わせづらく、そのときの表情のことを聞かれるのがイヤで、それで避けたのかもしれない。


あくまでも私の想像にすぎず、想像を膨らませたところで、現実が変わるわけではない。その日のできごとを頭の中で何度も繰り返して、どうしてどうしてを繰り返して、疲れている自分がいる。なんとも情けない。


終わったことなのに。Aさんに不快感を与えてしまったことがそれほどまでにショックだったのか。Aさんに嫌われたくないと思ったのか。あるいは他の人に不快感を与えるような自分に幻滅したというのが一番の理由かもしれない。知らず知らずのうちに人に不快感を与えているということ。自分で自分の言動をコントロールできていないということ。そんな自分に幻滅。自己嫌悪。


どうすれば、防げるのだろう。こういうことはもうイヤだ。
誰かを不快にしたくない。知らず知らずのうちに傷つけたくない。
相手へ配慮すればするほど苦しくなってくる。
もしかしたら、私は自己保身の気持ちが強くて、それゆえ、こんなにも悩んでいるんじゃないだろうかと。


もう一人の自分がこう言う。
なにをおおげさに考えているんだと。
いやな顔くらい誰でもするよ
能面のような、ただ笑っているだけの顔を貼り付けた人と話していて楽しいか?
喜怒哀楽があるのが「人」だろう?
気にしすぎだ
次にAさんに会ったときに、また引き続き避けられるようであれば、そのときまた考えればいい。





本当は、本当はわかっている。
なにがAさんを不快にさせたのか。
おそらく私のあの言葉だ。


しかしながら、いまさら放った言葉は回収できない。
Aさんを悪く言ったわけではない。誰かの悪口を言ったわけでもない。
ただ、私の価値観とAさんの価値観は合わなかった。
Aさんは驚いたのだ。私の価値観を知って。
「そんなに厳しいこと言う人だとは思っていなかった」
それがAさんの本音かもしれない。


価値観は曲げられない。そう簡単には曲げられない。
自分の価値観を表に出すことで、不快に感じる人がいるかもしれないということ。(これはブログを書いていてもいえることなのだけれど)
言葉が及ぼす影響をあらためて思い知った。


自分の中の厳しい部分を「思い出した」。
この「厳しい部分」がまた誰かを傷つけてしまうかもしれない。
自分の価値観の中の「厳しい部分」。


うまくつきあっていくしかないのかなぁとも思う。
曖昧なことを好む自分の中のほんの少しの「厳しい部分」。
そのほんの少しの部分だからこそ、際立ってしまうのかもしれない。


ひたすら悩むだけでは何も変わらない。
気持ちを切り替えよう。
気持ちを切り替え、今できることをしよう。


行動しよう。





読んでみたい本です。