「人生の残り時間」について考えてみた

ふと、自分の「人生の残り時間」を考えることがあった。
平均寿命と一般的に言われているものがあるにはあるのだけれど、実際自分がその平均寿命まで生きられるかどうかなんて、まったくもってわからないわけで。


人生の残りの時間をどう過ごしたいか、考えてみたら、過去あきらめてきたこと、できなかったことがいくつもいくつも泡のようにわきあがってきて、胃酸がこみあげるようなそんな気持ちになってしまった。


このブログを細々と続けているのも、まぁ生存報告みたいな、そんな感じになりつつあって、なんというか、そういう手段があるのはいいものだな、と。押し付けがましくなくて、読みたい人が読みにくる、そんなスタンスが昔から好きだ。


人生の残り時間を有意義に使おうとか、後悔しないように最善を尽くそうとか、そういうのは考えていない。
今できることをやっている。それで十分だ。
たくさん失敗もしたし、間違うこともあった。
でも、もう終わったことだと、自分に言い聞かせて、つらい感情に足をからめとられないように、感情を忘却する練習をしている。


まだ残りの時間はある。
その残りの時間を、もっと自由に、好きなことをやるために使ってもいいのではないかと、そう思い始めたのが、この10月半ばのことだ。


まぁ、その自由に、好きなことをやるというのが、イコール「時間を有意義に使う」ということなのかもしれないけれど。


ひとつでも、たったひとつでも、好きなことがあれば、やりたいことがあれば、それをやっていくのがいいんじゃないかと思う。
私自身、器用ではないので、いくつものことはできない。だから、ひとつかふたつ、いや、ひとつだけでも好きなことをやっていきたい。地道に、こつこつと。


あれもこれも、とやりたいことを列挙していた頃もあったけれど、やりたいことを減らした今のほうが充実しているような、そんな気がする。