長い長い子ども時代

子ども時代というのはいつ終わるのだろう。
どの時点で大人になったと言ってよいのだろう。

現代の日本において、子ども時代というのは、だんだん長くなっているように思う。なかなか精神的に大人になれないでいる人は、意外と多いのかもしれない。かく言う私も大人になりきれていないと思う。精神的に幼いなぁと思うことが時々ある。幼いという表現はあまり良い意味にとられないことが多いように思う。

さまざまな経験をすれば、大人になれるのだろうか。
自立して食べていけるようになることが大人になるということなのだろうか。

どうしたら大人になれるのか。

どうして大人にならないといけないのか。

大人になるというのは子どもでなくなるということなのだろうか。
いや、そうではないだろう。
大人であっても、子どもの部分も持っていて、ただ、その子どもの成分が薄くなってしまうのではないだろうか。どんどん薄くなって――あるいは、底のほうに沈殿してしまって、いつしかその成分は固まり、動かなくなってしまう。そして、子どものように無茶をしなくなってしまう。子どものように遊ばなくなってしまう。

否、大人だって遊ぶ。
遊んでいい。
そう思うのは自分が子どもだからだろうか。
大人だってアニメを見、ゲームをし、遊んでいい。好きなことをしていい。
遊ぶものがあふれるこの日本で、遊ぶことを我慢するのは難しいことのように思う。本当に遊ぶもの、面白そうなものが多すぎる。だから次から次へと遊び続けるのかもしれない。
遊びは子どもだけのものではない。大人だって遊ぶ。それはそれでしあわせかもしれない。大人としてするべきことももちろんあるのだけれど。

長い長い子ども時代。
無理に遊ぶことをやめなくてよい。そう思う。息抜きはやはり必要。大事だ。
いつしか自分の子どもといっしょに遊び、ともに楽しむ、そういう日がくることもあるわけだから。