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ブログってなんだろうね

「ブログってなんだろうね」と思いながら、スマホ片手に仰向けに寝転がった私はいつ寝てしまってもおかしくない状態だ。実際私はすぐ寝る。寝ることで充電している。充電なしでは動けない。まあ、決まった場所(充電台)で充電するルンバみたいなものだ。


スマホを布団やベッドなど寝床で触っていると不眠症になるとかどこかで聞いたけれど、「そうなの?私には当てはまらないぞ」と強く思う。スマホを触っていても眠くなるときは眠くなる。眠くなったら寝る。それこそごはんを食べながらでも眠くなったら寝てしまう自信がある!(そんな自信があってどうする…


何を書こうとしていたか忘れた。
そうそうブログについてだ。


ブログは私個人のステージ!
どんなことを書いてもいい自分の城!ワオ!
自分のブログに書くこと、書き続けることで存在を、生きていることを証明!照明!なんてまぶしい!(どうした、こもこ大丈夫か?!


ブログは遠く離れ、会うことができない人に元気に生きていることを伝えられるのだから、これは素晴らしいツールだ。しかも相手が読みたいときに読め、メールや電話と違って押しつけがましさがない。読んでも返信しなくていい!なんて楽な!


とはいえ、
「ブログ、いいよ!」
「みんなもやるといいよ!」
と簡単に言えないのが今の私の状態。


「こもこさん、最近ほとんど更新してないよね?」とツッコミ担当のこもこ氏(通称:こもツー)


そうですそうです。そのとおりです。
仕事が忙しかったり、やることが多かったりで、なかなか書いて更新できないでいる現在の私がブログを勧めるのは非常に気がひける。


「いやあ、忙しいのはブログが書けない理由にはならないっしょ?」と、こもツー(ツッコミ担当)


以前は忙しくても書きたいことがあれば昼休みでも電車の中でも書いた。スマホやメモ帳に。あの頃の私は、なんだったのだろう?ブログ書きたい妖怪に取り憑かれてたのかもしれない。


「今書けないでいるのは、多忙のせいじゃないよね?」(こもツー氏、不敵な笑みを浮かべながら)


はい。ズバリ、
書きたいテーマがないからです。


以前は、書きたいことが綿菓子製造機のようにふわふわと、どこからともなくあらわれてきた。自動筆記状態で何百字でも何千字でも書けていたけれど、最近はそれがない。
すっかり遅筆になってしまった自分を残念に思う。


丁寧さはいつも心がけているつもりだけれど、遅いことは褒められることではない。まあ、キビキビ俊敏なこもこというのも想像できないのだけれど。


今、何に関心がある?


それがよくわからない。


誰かにお題を与えられて、そのお題でブログを書くということを昔(2011年)やったことがあるけれど、これは合わなかった。ツラかった。毎週お題が出されるたび、うんざりしていた。叩かれたこともあったし、よく途中で投げ出さなかったものだ。ものすごく悩みながら、なんとか書いた当時の私を褒めてあげたいけれど、どんな文章を書いたか、今まったく覚えていない。上書きしていく自分の記憶システムは本当に恐ろしい!


今は関心があるテーマが特になく、伝えたいこともない空蝉のような状態。とはいえ、ずっと永遠に書けないことはない、そのうち書けるようになるから大丈夫という自信が自分の中にある。「まあ、書けないときもあるよね」と楽観的だ。好不調は誰にでもあるもので、波に乗る時期、波が凪いでしまう時期、海底に沈んでしまうとき、沼にハマる時期、まあいろいろだ。


ここから真面目モード。


不調のときこそ、落ち着くこと。なんだかうまくいかないなあと思うときは、静かに腰を据えて自分に栄養を、自分という畑に肥料をやり、耕し、良い土壌にすることに集中したほうがよい。種を蒔くのはそのあと。やたらと種を蒔いても芽は出ない。芽が出てもすぐに枯れてしまう。なぜなら土壌がよくないから。今は多くの本を読み、吸収し、土壌を豊かにする時期なのかなと自分では思っている。


日々、自分の中から出てくる言葉は自分の中にあるものだ。知らない言葉は出てこないし、知っている言葉で思考は言語化される。
言葉で思考し、それは自分の態度や行動を決め、日々はその繰り返しだ。惰性や習慣で、何も考えずに動いている部分もあるかもしれない。でもそれら(惰性や習慣)にのみ支配されたくないと思う。好奇心や新しいことへの興味はなくしたくない。思うように動けない時期ではあるけれど、それでもできることはある。これといって関心を寄せるものがないのなら、見つかるまで彷徨うのも有りだ。好きなもの(人)を探すのを趣味にしてもいい。無理矢理好きにならなくていい。そのうち出会えるかもしれないし、出会えないかもしれない。でもそれでいい。出会えるときは出会える。それまでの過程を楽しむのが、私は好きだ。


彷徨っていると、他の人の言葉の影響を受けることはあるけれど、受けたとしてもそれは「自分が受け入れたことのみ」に限定される。強制されて変化することはまずない。強制されることが何より嫌で、自由でいたくて、だからこういうブログという媒体が自分には合っているのだろう。


「ブログってなんだろうね」
こんな曖昧な疑問を取り留めもなく考えるのが好きだ。人それぞれに定義ができそうで、人によって様々だと思う。それはとても良いことだ。自分が思うブログを続けていけばいい。