共有知としてのブログ

ブログで発信されること、それは考えだったり情報だったりするのだけれど、その考えや情報を発信するということは、つまり書き手と読み手がその考えや情報を共有することになるのかなと、ふと思った。


つまり、ブログそれ自体が共有知であり、ブログを通して人はさまざまな考えを知り情報を得ることが可能なわけで、それを利用しない手はないとそのように思う。


今日『自分への語りかけ』の記事を読んで私は紹介したい、発信したいと思った。私以外の誰かにもこの記事を読んでもらいたいとそう思ったのだ。(『自分への語りかけ』を読んで。昨日よりは今日、今日よりは明日の自分。


おそらくニュースサイトというのはそういった感じで、いろいろなニュースをとりあげているのだろう。誰かに知らせたい、紹介したい、こんな面白いニュースがあったよ、こんな面白い記事があったよ、と。


私はニュースサイターではなくブロガーなので、ブログで発信したい。知ってもらいたい。こんな記事があったよと。自分の考えたこと感じたことを発信するのはもちろんだが、他のブロガーが書いた記事や提供している情報を私のブログから発信するのも有りだとそう考える。


知識や情報はどんどん広がっていいと思う。知識や情報を得る場所としてWebは手軽な場所だと思う。知識や情報については鵜呑みせず、信憑性信頼性の有無等、自分で判断、精査する必要があるとは思うが。


共有知としてのブログの価値や可能性といったものは無限だと思う。発信し、発信したものが共有知となり、読み手が何かを感じあるいは考え、それが個々にプラスになっていけばよいなと思う。


なお共有知については『ネット上で発信することは、共有知を形成する行為』(304 Not Modified)を参考にさせていただいた。